非天マザー by B-CHAN

iPhoneの使い方、IT、金融、経済、不動産、保険、ビジネス、音楽、映画、ニュース、自己啓発などを語ります。

死ぬ確率と痛みの報道

確率

 

 

昨日、歩きスマホをしていたと見られる中学生がホームから足を踏み外し、電車とホームに挟まれて命を落とすと言う痛ましいニュースがありました。

 

ミスをしたときに命を落とす可能性があることは、絶対にしてはいけないんですよ。

 

確率だけで言えば、人生のほとんどの行為で死ぬ可能性があります。

道を歩いているだけでビルの上からの落下物が頭に当たったりクビに刺さって亡くなった人もいます。

家の中でじっとしていても、窓ガラスを破って強盗が入って来るかも知れませんし、心臓発作で亡くなるかもしれません。

 

なので、生きることは死への道なのです。

それが、今日なのか、明日なのか、それとも来月なのか、10年後なのか。

その違いだけです。

 

しかし、必然性と言う考え方があります。

 

例えば、歩きスマホは生きる上で必須でしょうか。

ほぼ全員が歩きスマホの必要性はありません。

どうしてもスマホを操作する必要があるなら、立ち止まることも可能です。

歩くこととスマホを操作することを両立させる必要性は、人生で、まずありません。

 

人生の中で必要の無いことをして、それで命を落とすことほど、もったいないことはありません。

 

街を歩くことは避けることができません。

食べることも避けることはできません。

だから、街を歩いて何かが当たって死ぬこと。

食べて食中毒で死ぬこと。

その可能性は避けることができません。

 

でも、歩きスマホは避けられます。

 

 

ミス

 

 

人間はミスをする生き物です。

問題は、ミスをしたときの結果です。

例えば、書類に文字を書き間違えても、命を落とすことはありません。

だから、書類に文字を書き間違えると言うミスは、問題としては大きくは無いのです。

 

しかし、ミスをしたら死ぬ、と言う行動を考えてみましょう。

そのひとつが歩きスマホ。

他にもあります。

 

観光地で、自分で自分の写真を撮ろうとして柵にまたがって、誤って後ろの滝に転落して亡くなった人がいます。

これも確率の話ですよね。

柵にまたがった場合、落ちるか落ちないか。

確率は半分。どちらか。

そして、落ちた場合は命を落とす。

 

つまり、50%の確率で死ぬ行動です。

もちろん、柵にまたがると言う行動は人生で必須ではありません。

人生に必要が無いのに、50%の確率で死ぬ危険な行為をやってしまい、命を落としたわけです。

気の毒ですが、意味の無い行動と自分の命を引換えにしたわけです。

 

これはボクがこのブログで何度も書いて来たことですが、ボクは鉄道の駅のホームで、絶対に端には立ちません。

最近はホームドアが増えてきたので安全になって来ましたが、ホームドアがまだ無いケース。

 

ホームの端を歩いているときに、たまたま目まいがしたら。

ホームの端で電車を待っていて、たまたま誰かに後ろから押されたら。

 

起こるか起こらないかは半々です。50%。

そして、起こった場合は命を落とします。

 

ホームの端を歩いたり、ホームの端で電車を待つ必要性は人生にはありません。

人生に必要の無いことで、やはり命を落とす。

無意味です。

 

避けられないことで命を落とすのは人間の宿命ですが、避けられることで命を落とすのは意思の問題です。

 

歩行者として交差点で信号待ちをしているときにスマホだけを見ていたら、運転を誤って突っ込んできたクルマに気付きません。

交差点での事故は非常に多いんです。

信号待ちの歩行者にクルマが突っ込んで来るかどうかは半々。50%です。

だから、ボクはいつも、信号待ちのときはキョロキョロして、誤って自分に突っ込んで来つつあるクルマが無いかどうか注視しています。

信号待ちのときにスマホだけを見る必要性は人生には無いからです。

 

自分がやるミス。

あるいは自分がミスをしなくても、他の人のミスに巻き込まれるケース。

 

最後に、ボクが心を傷めたニュースを書いておきます。

少し前の話です。

 

クラブ活動に急いでいた女子生徒。

お母さんにクルマで駅まで送ってもらったら踏切がすでに閉まっていて電車に乗り遅れそうだったんです。

なので、遮断機をくぐって何とか電車に乗ろうとしたんです。

不幸にも、手前の電車によって、向こう側の電車がすでに走り出していることに気付かなかったんですね。

彼女はその電車にひかれて亡くなりました。

 

ほんの数秒前まで、まさか自分が、そしてお母さんは、まさか自分の娘が、数秒後にはこの世にいないなんて想像もしなかったでしょう。

いつもどおり送り、いつもどおり学校に向かっていたんでしょう。

あまりにも慌てていて、危険性から意識がとんでしまったんですね。

 

遮断機をくぐれば、死ぬ確率は半々。50%。

 

そして、ボクは、付け加えたいのです。

報道では、淡々と死亡のニュースが流れるだけですが、現場は凄惨です。

しかし、恐ろしいのは、死ぬ痛みです。

想像してください。

金属バットで正面から自分の顔を殴られるシーンを。

痛そうでしょ。

でもそれですぐに死ぬとは限りません。

死ぬと言うことは、それよりももっと痛いんです。

電車にひかれて亡くなると言うことは、亡くなるくらい恐ろしい痛みを人生の最後に感じたと言うことなんです。

こんなことを書くと残酷だと思われるかも知れませんが、ボクはきちんと伝えるべきだと思っています。

死ぬと言うのは、死ぬくらい想像を絶する痛みを人生の最後に経験すると言うことです。

ボクはかつて、腕相撲で右腕を折りました。

右腕の骨が真っ二つに折れたんです。

痛そうでしょ。

もちろん、想像を絶する激痛です。

でも死にませんでした。

死ぬのはそれよりも痛いんです。

ニュースではそんなことは言いませんが、ホントに悲惨なんです。

 

だからこそ、歩きスマホとか、柵をまたぐとか、踏切をくぐるとか、人生に必要の無いことを行って、人生の最後に地獄の苦しみを感じて亡くなっていくのを避けて欲しいんです。

ニュースでは単に、死亡1名。記号として報道されるだけ。

 

現実を知って、せめて痛みを避けて欲しいんです。

もちろん、病気など、避けられないこともあります。

 

避けられる痛みは避ける。

ムダに命を落とさない。

 

これを読んで、今後の行動を少しでも安全な方に変えてくれる人がいれば、書いた価値があります。