結婚は変化し、愛は普遍かつ不変
みなさん、こんにちは。
いつか書こうと思っていたテーマ、愛と結婚についてです。
世の中の「一般的」な人は適齢期になったら結婚することが多いです。
しかし適齢期とか結婚って、コロコロ変わるんですよね、時代や地域によって。
今の日本の平成の世の中では適齢期と呼ばれるのは30歳位ですか?
でもそれって人間にとって当然なことでは無いんです。
昭和の時代にはもっと早くて20代中旬でしたね。
ずっとさかのぼって戦国時代なんかは10代で結婚が当たり前だったりしました。
また、今の日本では結婚は男女の1対1ですが、昔、一夫多妻だったこともあります。
今でも外国でそういう国はありますよね。
つまり、結婚ってのは、時代や地域によって、内容がコロコロ変わるんです。
今の日本の結婚の常識がそのまま人間にとって正しい姿というわけではなく、その時、その地域の政治家や文化文明によって異なるということです。
そのつど、赤の他人が決めたモノにすぎないのです。
もしかしたら将来、結婚制度と言うモノ自体が崩壊するかもしれませんし、そうならないかもしれません。
だから、今の日本の常識にとらわれて、●●歳だしそろそろ結婚を、というのは人間的に正解というわけでも無いんですよ。
誤解を恐れずに書きますが、それは自分の意思ではなく、他人によってコントロールされた生き方、とも言えてしまうわけです。
一方、愛は今も昔も不変です。
とても大切なモノです。
日本でも大切、外国でも大切。
今も大切、昔も大切。
不変であり普遍です。
人間が持つべき一番大切なモノかもしれません。
愛と結婚は別?
よく、愛と結婚は別だよ、という人もいます。
もちろんそういう生き方をするのは個人の自由です。
愛の無い結婚をするのも自由ですね。
ただ、人生は一度切り。
たった一度の人生なのに、結婚という赤の他人が決めたコロコロ変わる枠組みを優先して、愛を劣後させるのって、ボクはもったいないと思うんですよね。
ボクなら、仮にこの世の中に結婚という制度が無かったとしても、愛する人といっしょにいたいと思います。
つまり、そろそろ適齢期だから結婚するために相手を選ぶ(こういうのを婚活と言います)のではなく、相手を愛するから、結果として今の世の中では結婚という制度を選ぶんです。
もし結婚制度が無い世の中でも、その相手とずっといっしょにいる、そんな感じです。
あくまでも愛が優先です。
そこでみなさんに問います。
時間の前後は愛より大事?
自分は愛する人と結婚したというみなさん。
あなたの配偶者をAさんと呼ぶとします。
当然、Aさんを誰よりも愛しています。
後からBさんが現れてもBさんよりAさんを愛するあなたはAさんとの結婚生活を維持します。
あなたにとってAさんが一番愛する人なのですから。
では仮にあなたが人生で先にBさんと出会っていたとしたらどうでしょう。
Bさんと出会い、Bさんと結婚した。
その後、Aさんと出会った。
ホントに愛する人と、後から出会ったしまったことになります。
愛が大切なら、仮にBさんと結婚してしまって、あとからAさんと出会ったのなら、一番愛するAさんと結婚すべきでは無いですか?
BさんよりAさんの方が好きなら、Bさんと離婚してAさんと一緒になる、これが愛を貫く姿ではないですか?
それともAさんの方が好きでもたまたま先に出会ったBさんとの結婚生活を守りますか?
Bさんと結婚生活を維持するというのは、愛よりも時間(先に出会ったこと)を優先することになります。
あなたはどうしますか?
時間(先に出会ったかどうか)を優先して結婚生活を維持しますか?
その場合は結婚や世間体は守られますが、愛は犠牲になります。
それとも愛を貫いてBさんと別れAさんと一緒になりますか?
その場合は愛が守られ結婚や世間体は犠牲になります。
繰り返しますが、結婚は、時代や地域によって政治家などがルールを決めるのでコロコロ変わる。
愛は地域や時代を超えて人間にとって普遍かつ普遍で大切なもの。
もちろん答えは決まってなくて、人それぞれだと思います。
ボクは愛を貫いて死んでいきたいなあ。
●●歳になったから結婚したい、では無く、人生の最後の瞬間にもその人を好きでいられる、それが大切だと思っています。
いろいろ反論ありそうなので、それも聞いてみたいですね。