論理的に県民性の矛盾を指摘する
みなさん、こんにちは!
B-CHANです。
県民性という言葉がありますね。
都道府県ごとにそれぞれの気質があるってことです。
大阪府の人は大阪府の人っぽい性質。
京都府の人は京都府の人っぽい性質。
そういうのが日本中で語られます。
そういう話で盛り上がるテレビ番組もあったようです。
ボクはその話はおかしいと思っていますが、単なる感情論なら説得力が無いので、理由を図解します。
都道府県境は人為的に決まる
次の図は隣接する京都府と大阪府を簡易に描いたものです。
Aさん、Bさんは、大阪府の図の地域に、Cさん、Dさんは、京都府の図の地域に住んでいるとします。
もし、県民性というものが正しいなら、AさんとBさんは大阪府民っぽい性質、CさんとDさんは京都府民っぽい性質ということになります。
でも、図のように、BさんとCさんは、住んでいる府は違いますが、ご近所さんです。
一方、AさんとBさんは同じ大阪府でも、ずいぶん離れた場所に住んでいます。
また、CさんとDさんも同じ京都府でも、ずいぶん離れた場所に住んでいます。
上の図では便宜上、府境を書きましたが、それは地図上の話です。
実際の現場にはそんな線などありません。
次の図のような感じです。
BさんとCさんは同じ地域に住んでいるのに、AさんとBさんが大阪府っぽくて、CさんとDさんが京都府っぽいって不自然では無いですか?
むしろ似たような環境の影響を受けるBさんとCさんが似た気質になると考えるほうが、まだ自然です。
次に、府境、あるいは都道府県境について考えてください。
都道府県境は地球誕生以来自然にそこにあったモノではありません。
あくまでも人間が勝手に決めただけです。
なので、年代によって、大きく変わります。
次の図を見てください。
いろんな政治の情勢によって、大阪府と京都府の境が変更されたとします。
変更されたと言っても、現地の地面に線を引き直すわけではもちろんありません。
現場は何も変わりません。
単に地図上での取り決めです。
暮らしている人たちの環境もそのままです。所轄の役所が変わる程度です。
でも、Bさんは京都府民になったから京都府民っぽい性質になるんでしょうか。
なりません。当たり前です。
県民性、県民性と言いますが、都道府県境が人為的なモノにすぎないので、そんなモノで人の性質は決まりません。
100人いれば100通りの、1000人いれば1000通りの、それが人間です。
わかってもらえましたか?
ここまでが、簡単な論理的思考の話でした。
単なる好みや感情論ではなく、客観的・論理的に間違いを間違いと見ぬくことができる能力を身に付けてください。
そして、ボクが一番言いたいのは次です。
最も大切なこと
住んでいる場所とか、見た目とか、勤務先とか、そういうのはすべて外面的要素です。
でも、人間を判断する上で大切なのは内面です。
ココロです。
これは人類の歴史が始まってから今まで、そしてこの先もずっと、変わらず大切なことです。
どこに住んでいるとか、見た目が美形だとか、立派な企業に勤めているとか、そんなことよりも、思いやりがあるかどうかのほうが、ずっと大切です。
にも関わらず、外面的要素で人間を判断するという浅はかな風潮に、ボクはとても悲しくなります。
まさに、それを煽るテレビ番組は害毒そのものであり、そして、人間とは悲しいかな、それが害毒であることにすら気付きません。
たとえ世の中の風潮が、人間を外面で判断するようになっても、人間を内面(ココロ)で判断できる人が存在し続けてくれて、外面的判断をする人達による判断(差別や偏見)に苦しむ人たちを救ってくれることをボクは願っています。
実は、血液型による性格診断もまったく同じ事が言えるんです。
その論理を考えてみてください。
血液型で人の性質を判断するのは、野蛮で浅はかな行為です。
先進国で、分別のある日本という国の国民なら、きちんと内面で判断してほしいと願います。
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