SF名作小説
ボクは理系も文系も関係無く取り込むのが好きなので、読書も、文芸や歴史や自然科学など、ジャンルは問わず大量に読んでいます。
SF小説も好きなんですが、SFの定義って何でしょうね。
空想科学と言う意味であれば、指輪物語もSFと言えなくもないですしね。
まあ、宇宙とかタイムマシンが出てきたらSFかも。
古典的SF小説と言えば、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、H・G・ウェルズ、ロバート・A・ハインライン、ジェームズ・P・ホーガン、フィリップ・K・ディックなどが思い浮かびます。
アーサー・C・クラークと言えば、映画、2001年宇宙の旅ですね。
監督のスタンリー・キューブリックもボクは大好きですが、2001年宇宙の旅に関しては、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックとの間でいろいろあったようで、ボクとしては大好きな映画ですが、作者として意図した作品になったのかどうか。
そんなアーサー・C・クラークの一番の名作とも言われている、幼年期の終わり、と言う小説を読みました。
あいかわらず、10冊ほどの本を毎日併読しているので、読み進むのが遅かったんですが、広範に入ってからは、これに集中して一気に読み終わりました。
SFのイメージをこんなに古くに覆していた小説があったんだなあ、と思わせる小説です。
宇宙人と戦争しない
現代に生きるボクたちとしては、SF映画の影響が大きいので、宇宙戦争のようなイメージが固定概念として存在するんですよね。
特に、インデペンデンス・デイ、と言う映画の影響は大きいです。
ボクはインデペンデンス・デイは大好きですが、幼年期の終わりは、人間と宇宙人は戦争しません。
この小説が書かれたので1950年代なので、2020年を予想するのは非常に難しく、近未来を描いたSFであるにも関わらず、とても古い描写が多いのが面白いです。
21世紀なんですが、携帯電話もインターネットもありません。
世界中の家に、新聞がファックスで送られてきます。
当時としては、これが未来の予想図だったんでしょう。
ただ、これらの設定は、小説のストーリーには何の影響もありません。
なぜなら、もしかしたら、この小説は、SFと言うよりも、進化論かも知れないからです。
ネアンデルタール人からクロマニョン人に置き換わって現世人類につながった歴史を考えれば、この小説はそれを宇宙的規模に置き換えただけです。
つまり、この先、起こりうる未来なんですよね。
ネアンデルタール人が絶滅したのであれば、現世人類であるボクたちも、いずれ、次の人類に置き換わられる可能性が当然にあるので。
幼年期の終わり、では、それが100年間の物語として描かれます。
時代が進むため、主人公は入れ替わっていきます。
このあたりは、シドニィ・シェルダンのゲームの達人を思い出しました。
それが人間目線での主人公ですが、実は、幼年期の終わり、のホントの主人公は宇宙人側と言う見方もできます。
地球人との対立軸としての宇宙人では無く、地球人の世代交代を見守る宇宙人。
地球人に対して圧倒的なチカラを持ちながら、地球人のような未来が無い宇宙人。
ボクたち現世人類はいつまで続くんでしょうか。
数万年後には、ボクたちとはまったく違う種類の人類が、この地球を支配しているのか。
ふと思うんですよね。
星には寿命があります。
地球の寿命もあと数億年。
そのときに、他の星で生活する技術を持っていなければ、現行の地球上の生物はすべて滅亡します。
数千年の文明もすべて消滅します。
はたして、ボクたちが生きた証は、未来永劫、受け継がれるんでしょうか。
幼年期の終わり、ではどう描かれているのか。
それは読んでのお楽しみです。