原作
小説が漫画化されたり映画化されると、非難が巻き起こりがちです。
ボクも、読書も映画鑑賞も大好きなので、そう言う意見をよく耳にします。
世の中には、テレビを見る人は多いですけど、本を読む人は少ないじゃないですか。
テレビと言うのは、人類が発明した最大の麻薬です。
とにかく帰宅したら、まず無意識のようにテレビのスイッチをオンにする人が大多数じゃないでしょうか。
テレビって、見る人間が何もしなくても勝手に放送してくれるので、人間を受動的にします。
一方、読書は、読む人が自ら読まないと進みません。
能動的に読む必要があるんです。
多くの人は堕落した生き物なので、受動的なテレビを選ぶわけです。
ラクですからね。
ごく一部の人だけが、能動的な読書を選びます。
映画はテレビと同じく映像のメディアです。
本のように能動的に読む必要がありません。
なので、原作小説は読まずに映画だけを見る人が多いのです。
ラクですからね。
ところが、原作と映画の両方を見た人からは、映画のあまりのガッカリ感から非難が巻き起こります。
原作小説と映画の違いとは何でしょうか。
映画は視覚が制限される
実際に原作小説と映画の両方を体験すればカンタンにわかります。
映画化すると、
- 視覚の制約
- 時間の制約
この2つが避けられません。
小説には視覚が無いので、読者は映像を頭の中で想像します。
なので、無限の可能性があります。
一方、映画はできあがった映像を見せられます。
なので、その映像を超えるコトができません。
有限なのです。
無限のイマジネーションの小説と有限の映像の映画。
どちらが有利かは言うまでも無いのです。
これは原作小説を漫画化がしたときにも当てはまります。
さらに映画には時間の制約があります。
映画って一般的に2時間前後。
その中で完結させる必要があります。
小説は1冊読むのに5時間前後かかるコトが多いんですよね。
しかも、小説の場合は、時間の経過を自在に操れます。
1つの文で1分間を描写するコトも1ヶ月を描写するコトもできます。
でも、映画のように映像になると、早送りはできません。
映像の1分間は実際に1分間です。
早口で話すわけにもいきませんよね。
時間制限があって早送りもできない映画では、どうしても大量の切り捨てが発生します。
原作小説では重要な心理描写などが映画ではばっさり切り落とされるのです。
読むのに5時間かかる小説を2時間の映画にそのまま収めるのはそもそも不可能なので。
仮に原作小説が2時間で読めるモノだとしても、その描写をそのまま映画では再現できません。
さっきも書いたように小説では1文で1ヶ月の経過を描写するコトもできるので。
大きな絵画のほんの一部だけを切り出して、その絵画の素晴らしさを知るのは難しいモノです。
野球の試合は9回までありますが、1回から8回を見ずに9回だけを見て試合全体の面白さを知るのは難しいです。
なので、たいていの映画は、原作小説を超えられないんですね。
逆に言えば、映画だけを見た人は、原作のホントの面白さを知らずにいるケースが非常に多いわけです。
それでも商業なので、原作の映画化はたくさん行われます。
映画の出来が悪いコトで逆に原作の良さが浮き立つ効果もあるかも知れません。
でも、まれに、原作小説に匹敵する面白さの映画も存在します。
それでも原作を超えてはいないですけどね。
みなさん、ボクは個人的には、ラクをするその他大勢の人たちのグループに入るよりも、能動的な少数の人間になる方をオススメしますよ。
結果として、希少な人材になれますし、面白い体験ができますから。