適材適所
これは自分も含めての話なんですが、
- 仕事ができる人
- 仕事ができない人
と言うテーマが話題になることって多いですよね。
で、ボク自身、反省を込めて書きたいことがあるんですよ。
と言うより、常々思ってるんですけどね。
それは、適材適所という重要なキーワードに関することなんです。
と言うのは、仕事ができるとかできないと言う場合の仕事って何でしょう。
例えば、プロ野球のバッターがヒットを打つのも仕事ですし、清掃員が便器を磨くのも仕事、そして、セールスマンがモノを売るのももちろん仕事です。
では、仕事ができる人と言うのは、それらすべてできるんでしょうか。
逆に、仕事ができない人と言うのは、それらすべてできないんでしょうか。
実際には、万能な人っていませんし、逆に完全にダメな人もいないんですよ。
例えば、ドラえもんに登場する、のび太は何をやってもダメだと言われますが、実は彼は、銃の腕前はピカイチですし、あや取りも天才。そして、どこでもすぐに眠る才能もあります。
つまり、実社会では全然役に立たないと言うだけであって、才能はしっかりあるんですよね。
だからこそ適材適所。
人間には本源的に必要な仕事とそうでない仕事があります。
本源的に必要なのは衣食住に関する仕事。
それ以外は基本的には無くても良い仕事です。
怒られるかもしれませんが、例えば歌手と言う仕事が無くても人間は生きられます。
テレビもゲームも不要ですし、スポーツも不要。
食欲・性欲・睡眠欲さえ満たせれば、人間は存続できます。
そう、存続するだけなら。
だから食べ物を作る仕事は絶対に必要なんですね。
今の社会ではプロ野球選手のトップクラスの人は年俸数億円です。
では、まったく同じ人がまったく同じ才能のまま、1000年前の平安時代に生まれていたとしたら。
そうです。
のび太です。
その社会ではその才能はまったく役に立たないんです。
これ、わかりやすくするためにプロ野球選手の例を出しただけで、実際には、ほとんどの仕事に当てはまるんです。
のび太は、あや取りの才能が天才的なのに、今の社会ではあや取りではプロになれません。
仮にプロになったとしても、それでは食っていけないでしょう。
なので、のび太は仕方なく、その才能を仕事として活かすこと無く、他の仕事をせざるを得ないんです。
そして、それは他の多くの人も同じ。ボクも同じです。
すべての人が完全に自分の最も得意とすることでプロとして生きていけるのなら、これほど幸せなことは無いでしょう。
しかし、現実はむしろ逆ですよね。
大多数の人は新卒で企業に採用され、ジョブトレーニングを受けるなり、自己啓発なりで、スキルを磨くわけです。
つまり、得意だからその仕事に就くと言うよりも、その仕事に就いてから得意になっていく、あるいは、得意になれずに終わる、というわけです。
だから、世の中の半分、いや、もっと多いかも知れないですが、とにかく多くの人たちは仕事をしたく無いんですよ。
一方で、仕事が楽しい人たちもいます。
それはもちろん、その仕事が好きだと言うこともあるでしょう。
でも、好きだと言うだけで楽しいという感情はおそらく長続きしません。
やはり、その仕事が得意であることが大きいんじゃないでしょうか。
ボクが自分自身を省みると、ボクの好みはわりと広範囲で何でも好きな雑食ですが、一方で、ボクのキャリアは主に金融系。不動産ファンドも経験しましたが、あれも金融と不動産の比率でいえば6対4くらいです。
しかしボクがいまやっている仕事は、サラリーマンとしては賃貸不動産管理。
そして、もうひとつがこれ。ブロガーです。
つまり、サラリーマンでやっている仕事は好きではあるんですが、別に得意では無い。
得意では無いけれど、稼ぐために仕方なくやっている気持ちも少なからずあります。
勘違いしないで欲しいのは、キライでは無いということです。
好きなんですが、得意では無いと言うことです。
一方で、ブロガーとしてはトップでは無いにしても毎月数十万件のアクセス数を稼いでいるので、おそらく上位数パーセントには入っています。
得意か不得意かと言えば得意と言っても良いんだと思います。
でもそれは会社では誰も知りません。
つまり、会社でのボクは仕事が不得意な人間と見られているわけです。
はっきり言えば、サラリーマン以外の仕事なら、誰でも何でもできます。
だって、自分で勝手に始めればいいんですから。
でも、サラリーマンだけは違います。
なぜなら企業に採用されなければならないから。
例えばボクが、
トヨタ自動車のレクサスのSUV部門でエンジンを作る仕事をしたい!
と希望しても、新卒ならともかく、今となっては無理なんですよね。
その理由は2つあって、ひとつはそもそも経験が無いから採用されないこと。もうひとつは、もし採用されても、そのスキルが無いのでまったく役に立たないこと。
そりゃ、コピーを取るくらいはできるので、レクサスのSUV部門でコピーを取る仕事ならできるんですが、それならボクである必要は無いわけです。
そうやって考えていくと、ボクの理想は、自分が好きであって、かつ自分が得意としている仕事を選ぶことなんです。
ホントは人生なんて自由なので、何歳になってもそれに向かって突き進めばいいんですよね。
自慢じゃ無いですが、ボクは転職活動で700社も落ちてます。
おそらく日本一じゃないでしょうか。そんなに断られた人は。
別にコミュニケーションが下手とか文章が下手というわけではありません。
単にそういう時期に、それだけの数の応募をしたというだけのことです。
そうです。リーマンショックで、自分の勤務先が倒産して無職になったので、大慌てで大量に応募したんです。
歴史的な不況期、つまり、どの会社も全然採用してくれない時期に大量に応募したんですから、そりゃ、大量に落ちます。
だって、一人しか募集していない会社に500人とか応募してくるんですよ。そういう中で、まずは履歴書と職務経歴書だけで突破しなければならない。そうやって書類で突破してから、ようやく面接ですが、空前の買い手市場なので、面接も圧倒的に不利なんですよね。
ボクは何度も経験しましたよ。
面接であれこれと質疑応答を受けた最後に、
「あなたは年齢的に当社には難しいです。」
と言われるんですよ。完全になめられているんです。
でもね、そんな苦渋を無数に味わって今のボクがあるんですよ。
そうです。
仕事の適材適所について楽観的になれたんです。
仕事との偶然の出会い
さっきも言いました。
仕事とは何か。
仕事ができると言われている人は、たまたまそのタイミングでその仕事を得意とすれば評価される環境にいるだけなんです。
仕事ができないと言われている人は、たまたまそのタイミングでその仕事を苦手とすれば批判される環境にいるだけなんです。
仕事ができるできないじゃ無いんです。
大企業の社長だって、一方ではExcelの関数はトンチンカンかもしれない。
また、どこかの山奥で木を切って生活している人が、もし陸上の世界選手権に出場したら優勝するかもしれない。
わかりますか?
やっていることに対しては評価することはできるんですが、やっていないことに対しては評価のしようが無いんです。
だから、実は自分が得意なはずのことに出会えていない人は不幸なんですよね。
そう考えたら、仕事ができるできないなんて、とてもスケールの小さい話だと思いませんか?
ボクは今、好きだけれどそんなに得意では無い仕事をサラリーマンとしてやっています。
直接は言われませんが、もしかしたら、他の人から見たら、ボクを仕事のできない人だと感じられるかもしれません。
しかし、社内ではボクは圧倒的なITのスキルを持っています。
それは相対的なモノです。ボクがすごいんじゃなく、周りが低水準なだけです。
でも、Excelの操作を見せると周りの人は驚くんです。
不動産管理という枠で見れば、全然得意だと思えないのに、その中で使うExcelに関してはすごく得意。
結局、仕事ができるできないって、どこで区切るかなんですよね。
仕事ができるんじゃないんです。
その人は、今、やっている仕事が、たまたまこのタイミングで得意だから評価されているだけなんです。
1000年前のプロ野球選手の話を出しましたが、別に1000年前じゃなくてもいいんです。
その選手にExcelを使わせたらすごく苦手かもしれない。
あくまでもプロ野球という仕事「では」一流、というだけなんですよね。
もし、あなたが、仕事ができると思っているなら、あるいは仕事ができないと思っているなら、それはすごくスケールの小さな思い込みであることを知っておいてください。
そして、もし後者なら、できれば、「好き」で「得意」な仕事に乗り換えることをオススメします。
そのために700回くらい挫折する価値はありますよ。
だって、人生は一回だけなんですから。