非天マザー by B-CHAN

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東北被災地一人旅の思い出

夜行バス

 

 

今日は3月11日で、東日本大震災から9年。

なので、ボクの体験談を書きます。

 

2013年の8月でした。震災の2年後。

ボクは当時、東京の世田谷に住んでいました。

リーマン・ショックで失業してから、ロクな仕事と出会えず、フラフラしていました。

で、8月26日だったかな。

夕方5時に渋谷の友人と遊ぶために渋谷に行きました。

でも、友人は急遽、仕事が長引いてしまい、ボクは一人になってしまいました。

そこで、

 

そうだ、東北に行こう!

 

と、いつもの行き当たりばったりで夜行バスに乗りました。

渋谷に行った格好なので、ほぼ手ブラです。財布とiPhoneとモバイルバッテリーくらい。

それで夜行バスに乗って、翌8月27日の朝の5時頃に岩手県の釜石駅前に到着しました。

人生初の釜石。

しかも早朝。被災地。

まさに、何もありません。人もいません。

土地勘もありません。

仕方無く、海岸沿いをずっと歩きました。海岸もめちゃくちゃでした。

再び駅の近くに戻って来ると、レンタカー屋さんがオープンしていたので、クルマを借りました。

何せ、被災して鉄道も走っていませんから。

 

で、知らない道をリアス式海岸沿いに走りました。

土砂降りでした。

道に迷って海の方に近づいてしまうと、道が海中に沈んでいました。被災で道路が海に沈んだんですね。

ボクは半泣き(全泣き)になりながら、土砂降りの見知らぬ場所で恐怖に震えながらクルマをUターンさせました。

そんなこんなで大船渡あたりでクルマを返しました。

そこからはひたすら徒歩。

10kmか20kmか覚えてませんが、とにかく歩きました。

空腹でも店もありません。

どの建物もボロボロ。

 

 

出会い

 

 

そんな感じで、何とかして宿を見つけて宿泊。

それの繰り返し。

女川原発のあたりに行ったり、石巻や陸前高田に行ったり。

 

道中、ずっと、ツイートしていたんです。

陸前高田の仮のプレハブの市役所の前で、ツイートしたんですよ。

 

「次のバスまで1時間待ちなう。」

 

みたいな感じで。

すると、たまたまそれを見た東北の人が、リプライをくれました。

送ってあげるよ、と。

もちろん、まったく知らない人。

バス停で待っていると、ホントに来てくれました。

女性。

夜の6時半くらいだったと思います。

カノジョはボクを乗せて、陸前高田から、気仙沼まで運んでくれました。

陸前高田は岩手県。気仙沼は宮城県。距離にして20kmほど。

 

いやあ、まさか被災地で、ボクが親切を受けるとは。

気仙沼に着いて、陸地に乗り上げた大きなタンカーなどを案内してもらい、お礼を言ってお別れしました。

 

それ以降の日々も、関西からボランティアのために東北に移住した男性とお会いしたり、また別の年配の女性にクルマで運んでもらったり。

その人は、ご夫婦で住まれているそうですが、良ければウチに泊まっていきなさい、とまで言ってくれました。

恥ずかしがりのボクは、さすがにお泊まりする勇気は無かったので、丁重にお別れしました。

 

そんなこんなで6日間ほど。

釜石からスタートして南下して東京に戻りました。

日々、宿泊場所と食事を探すのと移動手段を探すのが大変でしたが、非常に充実しました。

福島の原発の近くは立ち入り禁止で、それが心残りでした。

 

でも、良い思い出。

なかなか再訪するチャンスがありませんが、また行って、再会したいモノです。

街も、どれくらい復興したのか、あるいは復興していないのか、それも見てみたいですし。