マーケティング
西野カナと言うシンガーソングライターの発言が話題になっています。
西野はまず、“企画書”として楽曲のコンセプトや設定を考えだした後、一旦自身で詞を書きだすと告白。その後はアンケートや友人への取材を行い、多かった回答や自分の意見を交えながら歌詞に落とし込む“マーケティングリサーチ”手法を採っていると明かしていった。
要は、マーケティングをして詞をを書いている、と。
それに対して、否定的な意見もあると言う話です。
非難
ボクの個人的な意見ですが、堂々と書きますよ。
ネット社会って、炎上がよく起こります。
ボクは、炎上が起こった場合、必ずしも炎上した人が間違っているとは思っていません。
むしろ、非難している大勢の人たちの方が間違っているケースもよくあります。
大衆と言うのは、えてして、マインドコントロールされる傾向にあるので、今回の件も、それに類するのかな、と。
ボクは、西野カナと言う人をよく知らない(名前くらいは知っている)ので、この人自身の人格は抜きにして話しますね。
そもそも論ですが、非難って、何のためにするんでしょうか。
例えば、ボクが誰かを非難するとすれば、罪の無い小さな子を虐待する大人です。
これは言うまでもありませんよね。
罪の無い子が被害を受けているからです。
誰かが害を受けるような、誰かが理不尽に苦しむような、そんな行いは非難します。
でも、今回の西野カナの件は、どうでしょうか。
多くの人をリサーチして、多くの人が共感するような詞を書く。
それによって曲が売れる。
結果として、
- 多くの人が共感して喜ぶ。
- 歌手本人は曲が売れて喜ぶ。
誰も害を受けていません。
買い手も売り手もハッピー。
これをなぜ非難するんでしょうか。
ここがいかにも大衆的。
このように曲を作って曲が売れて歌手が稼ぐ。
他人が大金を得ると現れる「ひがみ、嫉妬」ですよね。
誰も不幸になっていないのに、自分が気にくわないから非難する。
悲しくないですか?
誰も不幸になっていなくても、他人が幸せになるコトをひがむ。
そんな時間って人生のムダ使いだと思いますよ。
多くの人を幸せにして自分も幸せになっている人を非難している「ヒマ」があるのなら、不幸な人たちを救うようなコトに思考時間を使った方が、よっぽど人間として有意義だと思いますよ。
ボクは、今回の話を聞いて、西野さん、曲が売れておめでとう!くらいにしか感じませんでした。