ラーメン屋さん
以前、ボクの友人が、とあるラーメンチェーンのひとつに食べに行ったんですよ。
そこの店員さんの一人の態度があまり良くなかったそうです。
友人は腹を立てて、ラーメンを食べずに店を去りました。
たまたまその店に一人、そう言う店員さんがいたんですね。
で、友人が言うには、
「もう、あのラーメンチェーンには行かない。」
それを聞いたボクは言いました。
それってキミの人生は、その店員さんに制御されたコトになるよね、と。
ラーメンチェーンも客商売なので、会社ぐるみでわざわざ悪い態度をとるような教育をするハズはありません。
でも、人数が増えると、企業の中には一人や二人、必ず、怠惰な人も現れます。
友人はたまたまそう言う店員さんに遭遇しただけであって、企業全体がそう言う体質と言うわけではありません。
そして、そのラーメンチェーンはとてもおいしくて人気があります。
友人は、たまたま運悪く初回に怠惰な店員さんに遭遇してしまっただけなのに、短気になって、もう行かないと言ってしまうと、そのおいしいラーメンを食べる機会を失います。
つまり、怠惰な店員さんの悪影響で、今後、おいしいラーメンを食べる機会を失うのです。
ボクなら、たまたま怠惰な店員さんに遭遇しただけであって、ラーメンの味とは何の関係も無いので、今後も自分の意思でそのラーメンを食べに行きます。
怠惰な店員さんのせいで、自分がおいしいラーメンを食べる機会を失うなんてイヤじゃないですか。
自分の人生は自分で決めたいモノです。
他人の意見
食べログなどを見ていても、他人の評価に振り回される人がたくさんいます。
所詮、好みなんて人によって違うのが当たり前。
他人の評価をあてにしても意味は無いのです。
ビール好きな人はたくさんいますが、ビールを飲んでも苦いだけのボク。
どんなにビールの人気があっても、ボクには関係が無いのです。
店の評価も同じ。
映画の評価も同じ。
音楽の評価も同じ。
レビューが悪くても名作はあるんです。
なのに、他人の評価に振り回されて、悪い評価の作品を見ないのは損なんですよ。
もしかしたら、自分が見たら、すごく面白いかも知れないじゃないですか。
他人のレビューのせいで、それに出会えなくなるのが残念。
自分の人生は自分で決めたいモノです。
食べログやテレビなどの評価で行く店を決めるタイプの人は、他人によってコントロールされている人生なんですよ。
冒頭の友人と同じ。
もちろん、他人によってコントロールされる人生が良ければ、どうぞご自由に。