自由を手に入れる
自由を手に入れるためにブログで生きていく系の人。
わりと見かけますね。
がんばってください。
こちらのハチさんの記事。
右肩上がりだそうです。
ボクが不思議に思うのは、最新の2017年2月のページビュー(アクセス数)が18350であること。
このページビューでひとり暮らしができるくらい稼いでいるのなら効率が良いですよね。
しかも1ヶ月に書いている記事の数がせいぜい数本。
それで暮らせるのなら確かに自由ですよね。
ボクなんて月間30万ページビューブロガーで、昨日までで1025日連続執筆中、記事の数はすでに2700本以上。
数少ない継続型ブロガーですよ。
もちろんボクもブログの稼ぎだけで生活はできますが、それでもサラリーマン兼業ですし、月間100万ページビューが目標ですからね。
月30万ページビューなんて満足していないわけです。
なのに、月に数本の記事を書いて18350ページビューだけで、あの余裕。
すごい。教えて欲しいですよ。
その効率の良さを。
で、やはり自由を手に入れた、たぱぞうさんの記事です。
また自由と言う言葉が出てきました。
こちらは経済的自由。
そう言えば、ハチさんの自由って何だろう。
会社に行って働かなくて良いと言う意味の自由ですかね。
つまり、仕事をしたくないってことでしょうか。
たぱぞうさんの経済的自由と言う言葉もよく見かけます。
おカネに不自由しないってことですかね。
ボクもたぱぞうさんのブログに影響を受けていて、資産のポートフォリオを組み替えています。アメリカの株式に比重を移しています。
まあ確かに、アメリカの経営者は株主重視ですし、日本の大企業は、経営危機からの安易な増資ですからね。
株主としてトクしやすいのはアメリカ、損しやすいのは日本。
国家としての日本への好き嫌い、アメリカへの好き嫌いは別として、単に自分の資産を増やしたいのであれば、単純に日本人と言うだけで日本株に投資する動機は薄いです。
と話がそれました。
経済的自由ってのはボクも理解できます。
そりゃ、生きていくために食べていくためにおカネが必要で、そのおカネの心配をすると言うことは生存の心配をすると言うことですからね。
つまり、経済的自由は、命の危機から遠ざかることを意味するわけで、生物としての人間にとっては重要なわけです。
しかし、ハチさんのような自由ってどうなんでしょうか?
就職活動をしないと書いてあるので、やはり仕事をしたくないってことなんでしょうか。
世の中には幸せな人とそうで無い人がいて、毎日毎日、生活費のために仕方なく仕事をする人がいる一方で、仕事が面白いと感じる人もいるんですよね。
例えば、ボクが今週やっている仕事なんかも、不動産管理に関するシステムを、主にパソコンのExcelを駆使して組み上げていくことなんですが、これが面倒なのに面白い。
特に、他の人が持っていないスキルを活かして構築していくのは快感に近いです。
ボク自身は、出社と言う行為自体はキライです。
わざわざ仕事用の衣装に身を包んで電車に乗って決まった時間に会社に到着する。
その無意味さにはうんざりです。
しかし、それはそれ。
やっている仕事自体は面白いんですよね。
面白いと感じることをやって収入も得られる。
ある意味、幸せですよね。
てことは、ボクは、時間的な自由は手に入れていませんが、そのことをもって不幸にはなっていないわけです。
仕事 = イヤなモノ
と言うケースもあれば、
仕事 = 楽しいモノ
と言うケースもあるってことですね。
何のための自由なのか
わかりやすい例で言えば、歌うのが好きな人が歌うことを仕事にする、つまり歌手になる、なんてのは、まさにそれですよね。
もちろん、歌手を仕事にすると、決められた時間に決められた場所で歌う必要があるなど、不自由は発生します。
何から何まで完全に自分の思い通り、それは無いです。
ボクだって、さっき書いたように、仕事は面白いけど、出社と言う面倒な作業もあるわけです。
これ、ブログでも同じなんですよね。
ボクはブログで生活できますが、それにも二面性があります。
ブログを書くこと自体は楽しい。
この文章だって、思いつくままに殴り書きしているだけなんですよ。
高度な技術も文学的表現も無い。
ただボクが思っていることを自由に書いているだけ。
それが面白いんです。
しかしブログで稼ぐと言う別のハードルもあります。
当たり前ですが、記事を書かなければ誰も読みません。
書くこと自体は楽しくても、稼ぐためには、書きたくないときでも書く必要があるってことです。
これが二面性。
自由と言うのはサボると言う意味じゃ無いんですよね。
ビル・ゲイツは天文学的な財産を持ちながら、日々、忙しく過ごしています。
おカネが有り余っているからと言って、何もせず、日々、時間を無為に過ごすのがどれだけ不幸なことかを知っているからです。
ボクがいまやっている仕事も楽しいので、仮に給料が出ないとしても、ボクはその仕事を完遂させるでしょう。
自由が常に幸せであるとは限らないんですよね。
- 自由で幸せである
- 不自由だけれど幸せである
両方あるんです。
大切なのは幸せになるという目標だと思うんですよ。
そのためのツールが自由あるいは不自由だと思うんです。
だから、自由を目的化してしまうと、そこにたどり着いたときに、思ったほど幸せでは無いと感じる人もいると思います。
自由を手に入れるために、よりも、何のために自由を手に入れるのか。
そんなことを考えるので、ボクは日々、忙しくしているのです。