信仰の自由
日本は信仰の自由がある国です。
もちろん信仰しない自由もあります。
ボク個人は、その歴史的な解釈として、神様は人間が生み出した存在だと思っています。
もし、神様が先に存在したのであれば、地球上のすべての地域で、同じ神様の姿じゃないとつじつまが合わないんですよね。
でも、実際には、西洋には西洋風な外見の神様がいて、東洋には東洋的な外観の神様がいます。
なぜなら、西洋の人と東洋の人とで考え出した神様が違うからですね。
実際には存在しない。
でも、人間が生み出した。
そして、それを信じるのは個人の自由です。
ボクは、上述の理由で、神様の存在そのモノは信じていません。
信じる方が良い
しかし、神様が実際に存在しなくても、ボクは神様が存在するコトにしています。
存在しないモノを信じるコトにしています。
それは信仰心のためではありません。
常に365日24時間、ずっと、神様に見られていると思えば、自分の行動を律するコトができるからです。
昔、恋人が道にゴミを捨てるのをボクは見ました。
ボクはそれを注意したんですが、それ以降は、ボクの前ではゴミを捨てなくなりました。
言い換えると、ボクが見ていないところでは、ゴミを捨てていたんです。
これって本質的におかしいんですよね。
ボクは別に恋人がゴミを捨てるのを見たくないわけではありません。
そこは本質では無いのです。
ゴミを道に捨てれば、街が汚れますよね。
それが本質です。
なので、ボクが見ても見なくても関係無いわけです。
ボクが見ていなくても、ゴミを捨てれば汚れるのです。
もしその人が神様の存在を信じていたなら、神様による監視を気にします。
つまり、ゴミを捨てなくなります。
人に見られるからとか、人前でとか、そんなのはどうでもいいのです。
大切なのは、人目に関係無く、ダメなコトはしないコトです。
神様の存在を信じれば、それが可能になります。
ボク自身、24時間ずっと神様に監視されているつもりで行動しているので、人が見ていなくても、ゴミをポイ捨てするコトはありません。
信仰心が無くても、自分を律するコトで、人に社会に貢献する。
これってステキなコトだと思うんですが、いかがでしょうか。