障害者
最近、障害者を「障がい者」と表現しよう、などと言う意見があります。
害と言う漢字がマイナスイメージだからでしょうか。
それを言ってしまうと、障と言う漢字もマイナスイメージなんですけどね。
障がい者でも障害者でもどちらでも良いんですが、ボクはそもそも、障害者と言う特別扱いそのものに疑問を持つ人間です。
全員が障害者
人間の身体は数兆個もの細胞で構成されています。
そのすべての細胞が健全である人なんて、この世に存在しません。
すべての人が、どこかに何らかの障害を持っています。
なので、全員が障害者です。
ボクもです。
たまたま、それが、人間の目に見えるほどの規模かどうかの違いなのです。
例えば、法律上の障害者の定義もあります。
国によって障害者認定されている人は、さまざまな補助が受けられます。
一方で、ボクは昔、腕相撲によって、右腕を激しく骨折しました。
2度の全身麻酔手術を乗り越えて、リハビリも長く行って、ようやく日常生活が行えるようになりましたが、15年経過しても、右腕の上腕骨は痛みますし、可動範囲も狭いままです。
右腕で背中をかくことはできません。
後遺症ですね。
ただし、ボクは国には何の申請もしていないので、特段、何らかの障害認定も補助も受けていません。
生まれつき、障害を持って生まれてくる人。
人生の途中で障害者と呼ばれる状態になる人。
そして、目に見えないレベルまで含めれば、すべての人が細胞レベルで障害を持っているコト。
障害者は生きる価値が無いと言って事件を起こす人がいますが、それを言ってしまうと、すべての人は障害者なので、生きる価値が無くなってしまうんです。
ボクの中には、障害者基準、と言う考えがあります。
世の中のすべての人が何らかのレベルで障害者であるから、むしろ、それが普通であり、健常者と呼ばれる状態こそが異常。
そんな考え方です。
障害者がハンディキャップを持って生まれてきたのでは無く、それが普通のコトであり、健常者の方が「健常」と言う状態を与えられて生まれて来た、と。
つまり、健常者は最初からトクをしているわけです。
この広い世界で、なるべく平等に暮らそうとするならば、無条件に何かを与えられるコトは避ける必要があります。
Aさん、Bさん、Cさんの3人が生まれて来て、その中でAさんだけが生まれたときから大金を与えられるなら、それは不公平ですよね。
結果の不平等は構わないと思うんですが、スタート地点の不平等は避けるべきです。
なので、Aさんだけに大金が与えられるのはおかしくて、Aさん、Bさん、Cさんの3人で平等におカネを分け合って人生をスタートするべきです。
そして、努力の結果、大金持ちになったり、貧乏になったりするのは構わないのかな、と。
それは、おカネに限らず、健康、健常もそうなんですよね。
健常者として生まれてくるのは、その時点ですでに、健常を与えてもらっているわけです。
だから、健常者はその分、社会福祉に精を出したり寄付したりするのが大切なんです。
趣味を持たず、ただ、日々が過ぎ去るだけの人。
ぜひ、福祉を趣味にしてみてください。
たぶん、それだけで人生が充実すると思いますよ。