Yahoo!が世界を変えた
世界の歴史を変えた出来事はいくつかありますが、インターネットの登場もそのひとつ。
特に検索エンジンのおかげで人々の生活が大きく変わりました。
その検索エンジンの草分けのひとつがYahoo!でした。
今でも日本ではYahoo! JAPANのシェアが大きいんですが、世界的に見れば、Yahoo!はGoogleやFacebookとの競争に敗れたんですよね。
実は今ではもう、源流となったYahoo!と言う会社は存在しません。
では、なぜGoogleが勝ったか。
それは、Googleが辞書であり図鑑であったからです。
つまり、Google先生に聞けば何でもわかる、と。
Yahoo!やGoogleが登場した1990年代は、まだまだパソコンの時代。
その頃ですら、すでにGoogleは恐ろしいほどの利便性をもたらしたんですが、2007年のiPhoneの登場で決定的になりました。
世界中の人々は、Googleと言う巨大事典を自由に持ち歩けるようになったからです。
何か、わからないことがあれば、とにかく手元のスマートフォンで調べる。
昭和時代の学生のように、紙の分厚い辞典を持ち歩く学生なんて、今ではごくわずかしかいません。
ボクのiPhoneにも、こんなアプリが入っています。
他にもたくさん入っていますが、とにかく、iPhoneがあれば、Googleやら辞書アプリやらで、何でも調べられます。
すると、合理主義者(ボクも合理主義者ではありますが)が、言うんですよ。
「もはや、何でも検索できるんだから、学校の勉強なんて不要。」
と。
一見、この意見は正しいように思われます。
ただ、ボクは、その考え方は危険だと思うんですよね。
知識と知恵
具体的な事例がなかなか思いつかないので困ったんですが、いくつか書いてみます。
まずは超初歩的な話。
交通信号の色の知識。
赤は止まれ。
青は進め。
この知識が無くて、その場でいちいち検索して調べてたら間に合いません。
つまり、時間の問題であるパターン。
次。
これなんかどうですか?
知識としての設備の働きや空気の性質はネットで調べればわかります。
しかし、それを活用して、室内にカビが生えないようにするのは知恵です。
知識を組み合わせることで得られるのが知恵なんですよね。
つまり、Aと言う知識はネットから得られる。Bと言う知識もネットから得られる。
しかし、AとBを合わせることで利便性が生まれると言うことまでは、ネットでは得られない可能性が高いんですよね。
あるいは、自分で知識を活用して考えて新たな知恵を生み出すケースもあります。
かつて、ネットが無い時代は知識を持つこと自体が武器になりました。
今はネットがあるので、知識を持つこと自体は、武器としては弱まりました。
実際に必要なのは知恵。
ところが、知恵を生み出すには、前提として知識が必要になってきます。
知識を詰め込む受験勉強の必要性に対する疑問が叫ばれる時代になりました。
確かに、知識を問う従来型の試験問題は、もはや必要無いでしょう。
しかし、知識を活用して知恵を問う問題は、今後も必要でしょう。
いや、むしろ、今後さらに必要でしょう。
実生活では、そちらの重要性が相対的に高まるからです。
となると、結局、やはり前提としての知識は学んでおく必要があります。
そう考えると、今後も、知識を持つことは武器になるんですよね。
ただし、知識自体が目的では無く、あくまでも知恵を生むための手段。
道具を使えることを武器とするのでは無く、道具をどのように使うのかを武器とする。
ボクは特に、大学受験生達に言いたいんですよね。
試験に合格すると言う大目標はもちろん大事ですが、将来を見据えた戦略を持っていて欲しいと。
ボクは、高校時代は理系と文系の両方を学びました。
そして、科目としては特に国語の現代文を重視しました。
理由はカンタンで、思考力を問われるからです。
歴史の年号を答えたり、動物の細胞の名前を答えるのは、単なる知識なので頭の善し悪しは関係ありません。
将来、その方面に進むのでは無い限り、その知識はほとんど役に立ちません。
受験のためのツールに過ぎないわけです。
その点、現代文を勉強することは、一生使える脳を鍛えるのに役立ちます。
正直、現代文まで勉強する時間は無いよ、と言う受験生は、人の2倍勉強すれば良いだけです。
受験の瞬間が人生の頭脳のピークってもったいないじゃ無いですか。