ミッション
仕事をしていると、たくさんのミッションがやって来ます。
ミッション(mission)は日本語では任務や使命と表現されます。
これは達成すべき目的です。
ミッションを責任を持ってできない人が多いんですが、そこには大きな勘違いがあります。
ありふれた話として、誰かとの待ち合わせがあります。
例えば、お客さんと渋谷駅で10時に待ち合わせをしているとしましょう。
つまり、ミッションです。
ミッション=お客さんと渋谷駅で10時に待ち合わせ
目的では無く手段
さて、ここで多くの人は、お客さんと渋谷駅で10時に合うのに間に合うように電車に乗ります。
例えば、9時55分渋谷着の電車に乗るわけです。
ところが、その日、人身事故があり、電車の運行に遅延が発生しました。
結果、乗った電車は予定より遅れ、結果として、お客さんとの待ち合わせにも遅れてしまいました。
この場合、人身事故が悪いのでしょうか。
ここからの判断がミッションへの責任感の重さにつながります。
ミッションは何だったでしょうか。
ミッション=お客さんと渋谷駅で10時に待ち合わせ
ですよね。
では、そのミッションを達成できたでしょうか。
できませんでした。
なぜなら、電車が遅れたからです。
立派に言い訳できます。
きちんと間に合う予定の電車に乗ったにも関わらず、遅れてしまった。
遅れた原因は自分には無い。
これが自分を正当化する論理ですね。
しかし、お客さんから見れば、待たされたと言う事実があります。
原因に関係無く、待たされたと言う事実が発生しました。
ボクも仕事をする社会人である以上、これまでに無数の待ち合わせをしました。
ボクがいつも心がけるのは、手段と目的の混同を回避するコトです。
上の例で言えば、ボクは、9時半に渋谷駅に着いているように電車に乗ります。
例えば、9時25分渋谷着の電車です。
あるいは小一時間くらい早く着く電車ですね。
当然、それに間に合うように出発します。
それくらいバッファーを持たせておけば、人身事故が起こっても、リスクヘッジが可能です。
時間に余裕があるため、人身事故でも間に合うか、あるいはタクシーやバスなど他の手段に替えるか。
ボクがあえてミッションを強調したのには理由があります。
ミッションはお客さんと渋谷駅で10時に待ち合わせであり、9時55分着予定の電車に乗るのは、そのための手段に過ぎません。
しかし、多くの人は、9時55分着予定の電車にきちんと乗ったので、遅れたのは自分のせいでは無いと言う。
電車に乗ったコトは目的では無く手段に過ぎません。
手段を実行しただけなのに、目的を実行したのと話をすり替えてしまっている。
ここがポイントです。
もちろん、目的のための手段なので、その手段を実行するコトは大事です。
しかし、こんな2人の営業マンがいたとして、あなたがお客さんならどちらを選ぶでしょうか。
お客さんと渋谷駅で10時に会うために、9時55分着の電車に乗る営業マン。
お客さんと渋谷駅で10時に会うために、念のために遅延を考慮して、早くに到着する営業マン。
営業マンがどちらの行動を採るかは、営業マンの自由ですが、同様に、お客さんがどちらの営業マンを評価するかも自由なのです。
ここでは、待ち合わせの例を書きましたが、世の中、ミッションだらけです。
ミッションのための手段を実行して、やった気になっている人と、様々なリスクを想定して、何が何でもミッションを達成しようとする人。
大切なパーティーの食事の手配を頼まれて、ケータリング業者に注文したけれど、ケータリング業者のミスで、食事が届かない、なんてコトがあれば取り返しがつきません。
ミッションは、パーティーの食事の手配であって、業者への注文がミッションではありません。
だから、自分はきちんと注文したから責任は無い、と言っている人は、一段低い評価をされます。
ミッションを達成できていないからです。
業者の手配・経過の確認、緊急時の代わりの対応など、何としてもミッションを達成する。
そんな人が高い評価をされます。
手段だけをやる人。
目的を達成する人。
もし、自分の仕事に行き詰まりを感じるとき、こう言ったコトをひとつの考え方として持っておくと良いと思います。