文明以前
たまにボクの頭に浮かぶ疑問を書きます。
労働環境のお話です。
人類は、その歴史において、最初から文明があったわけではありません。
自然界に存在する動物を捕まえたり植物を採集して、食料としていたわけです。
なので、食料はまったく保証されていなくて、動物も植物も確保できなければ、死ぬわけです。
死ぬのは悲しいですが、食料を確保できない以上、死ぬしかありません。
24時間、食べ物を探し続けて、ようやく食べ物を確保。
24時間働いたんだから、少し休もうと思っても、次の食料を確保できる保証はどこにも無いので、引き続き生きるために、動物や植物を探し続ける作業は続ける必要があります。
文明以後
現代社会では、労働者の労働環境は労働基準法に沿うように経営者に求められます。
経営者は自分でビジネスモデルを考え、自分で起業し、自分で営業し、自分で資金調達し、自分で事業を継続させ、場合によっては自分で借金を背負います。
経営者なので労働基準法は関係無く、企業を存続させるためには不眠不休で働く必要すらあります。
生きるためですね。
あらゆる困難とリスクを背負っています。
一方、そこに雇われる労働者。
労働者は、自分でビジネスモデルを考えるわけでは無く、自分で起業するわけでは無く、自分で借金を背負うわけでもありません。
リスクがほとんど無いわけです。
その上、労働基準法に基づいて、快適な労働環境を要求する権利があります。
環境が悪ければ、それは経営者のせい。
文明社会って、労働者がリスクを取らず、人のせいにする、そんな社会なのかな?
もし今、文明が滅びたら、労働者も経営者も関係ありません。
生きるために、誰もが労働時間関係無く、食べ物が見つかるまで働き続ける必要があります。
今日は8時間働いたから、もう働かなくて良いと主張するのは自由ですが、休むコトは死ぬリスクが増すだけです。
自分が生きるために、誰か快適な環境を作ってくれ、と言ってもムダです。
でも、現代社会はそれができてしまう。
快適な環境は他人が作ってくれたモノ。
それを要求するだけの人たち。
現代社会って何だろう。
そんなコトが、たまに頭に浮かぶのです。