外面で判断
昔から、入れ墨の人を断る銭湯はたくさんあります。
理由はカンタンで、日本では入れ墨の文化が浸透していなくて、入れ墨の人は多くが暴力団の人だったからです。
入れ墨の人の多くが暴力団の人。
だから、入れ墨の人はお断り。
つまり、外面による確率論。
これ、よく考えたら、何とも変なんですよね。
刑法犯の大半は男性
統計上、刑法犯の大半は男性です。
てことは、こう言う理論が成立します。
この銭湯は男性お断り。
でしょ?
入れ墨の人の多くが暴力団の人だから、銭湯は入れ墨の人をお断り。
刑法犯の多くが男性だから、銭湯は男性をお断り。
でも、前者はあっても、後者は聞いたことがありません。
なぜ?
そりゃ、おかしいからですよね。
後者がおかしいってことは、必然的に前者もおかしいってことです。
だから、銭湯が入れ墨の人を断るのは即刻やめるべき。
とボクは思います。
考えてみてくださいよ。
入れ墨をしている一般人は銭湯に入れない。
入れ墨をしていない暴力団員は銭湯に入れる。
これ、意味ありますか?
人を外面で判断するってコトは、判断する側も判断される側もハッピーにならないわけです。
人はやっぱり外面、的な本が流行ったりしましたが、ボクは、人はやっぱり内面、だと思います。
まあ、何を信じるかは自由なので、それで幸せなら、どうぞご自由に。