人格批判
こんにちは。
最初に言っておきますが、世の中には人格批判をする人がいて、そうなると、キライな人物が発言するコトを何でもかんでも否定するんですよ。
例えば、橋下徹と言う有名人は、そのキャラクターから人気があります。
人気があるがために、味方も多いしアンチも多いです。
これは人気者の特徴です。
橋下徹氏のコトをキライな人は、とにかく橋下氏が言うコトをことごとく否定する。
いや、別に橋下氏だけじゃ無いですよ。
人間って、誰かをキライになると、その人の言うコトやるコトを全面的に否定しがちですよね。
ボクは前から何度も書いているように、完璧な人間など存在しないのです。
完璧に正しい人間も、完璧に間違っている人間も。
ボクは橋下徹と言う人と会ったコトもなくて、メディアを通してしか知らないので、この人がどんな人格かは知りません。
なので、人間として好きでもキライでも無く、それは誰に対してもそうです。
橋下徹氏の発言に賛同するコトもありますし反対するコトもあります。
誰に対してもそうです。
友人に対してもそうです。
友人だって、正しいコトも言えば間違ったコトも言う。
正しいコトには賛同し、間違ったコトには反対する。
それは発言の中身の話であって、人格とは関係無いのです。
親友でも間違ったコトを言えば、きちんと否定すべき。
三角関数
その前提を知っておいてもらってから、この記事を取り上げますね。
要は、橋下氏は、三角関数は絶対必要な知識とは言えないので学ぶ必要は無い、と言う立場です。
で、この意見にきちんと反対する人もいれば、単に橋下氏がキライなので反対する人もいます。
さっきも言いましたが、ボクにとって意見の中身と人格とは無関係なので、単純に、三角関数を学ぶ必要は無いかどうか、と言う「意見」の中身について書きます。
実は、ボクは、学生は三角関数を学んだ方が良いと思っています。
ひとつめの理由は、絶対に必要な知識なんて、この世界に存在しないからです。
三角関数も英語も音楽も美術も書道も漢字も足し算も歴史も、絶対に必要な知識ではありません。
絶対に必要では無いから学ぶ必要は無い、と言うのであれば、学校の授業は全廃できます。
でも、それはおかしいですよね。つまり、絶対に必要かどうかは、学ぶべき知識かどうかの判断基準にはならないのです。
ふたつめの理由。
これこそ、ボクが言いたいコトなんですが、体験がすごく大切なんですよ。
大人になるまでは人間は未成熟な部分があるので、判断力も不完全です。
もちろん人によって成長のスピードや能力は違いますが、法的には18歳未満は未成年とされます。
その成長の過程で、ボクは、できるだけ多くのコトを体験させるべきだと思うんですよね。
三角関数に限りません。
畑にタネを植えて植物を育てる授業。
体育。
音楽。
理科の実験。
漢字。
漢文。
古典。
外国語。
政治。
歴史。
数学。
調理。
工作。
これでも足りないくらいです。
たくさんの幅広い体験をするコトで、そのどれかを好きになる可能性が高まります。
ボクなんかは円の面積を求める公式や、三角形の面積を求める公式を学んだとき、その仕組みを知って感動した人間です。
出会ったからこそ感動できました。
人によって好みは違います。
体育が好きな人。
古典が好きな人。
歴史が好きな人。
生物が好きな人。
いずれにせよ、それと出会わないと、何も起こりません。
学生時代に歴史の授業が好きになって歴史家の道に進む人がいるかもしれません。
三角関数が好きになって数学者になる人がいるかもしれません。
もちろん、人によって、苦手な分野がそれぞれあるでしょう。
その場合でも、それこそ橋下氏が言うように、劣等感なんて感じる必要は無いんです。
でも、経験しなければ、その良し悪しはわかりません。
大人になってしまえば、自己責任で経験を積む必要が出てきます。
それも大切ですが、ボクは、未成年のうちに、積極的に、幅広い色んな経験を積んで、そこから好きな分野を見つけるのはとても大切だと思うんですよ。
三角関数は絶対必要な知識ではありませんが、三角関数を学校の授業でやらなければ、一生、三角関数を知らない人が出てくるコトになります。
もし出会っていたら、すごく好きになっていたかも知れず、天職に巡り会っていたかもしれないのに、そのチャンスの芽を摘んでしまうのは、もったいないと思うんですよね。
まずは、経験してもらう。三角関係に限らず、できるだけ色んなコトを。
そして、好きになるかキライになるかは、その後です。
好きな人はのめり込めば良いし、キライな人は別のコトをまた経験すれば良い。
学校の教育って、橋下氏が書くように、頭でっかちを育てる場であってはならないと思うんですよね。
その点で、ボクは橋下氏と一致しています。
だからこそ、橋下氏のこの意見に関しては反対しておきます。