リスクは現実になる
リスクと言う言葉は金融の世界では、
不確実性
を表します。
例えば、銀行の普通預金におカネを預けておけば、おカネの名目残高は減るコトはありません。
一方、株式を買ってしまえば、その金銭的価値は、増加する可能性もありますし、減少する可能性もあります。
つまり、株式の方がリスクは大きいと言うコトになります。
世間一般では、リスクとは危険を表すコトが多いですね。
ボクはそれはそれで良いと思っています。
人々はリスクを認識して行動すれば、結果的に身を守るコトになるからです。
0.1%の可能性
命を落とすと言うコトは、二度と命が戻らないと言うコトを肝に銘じておいてください。
命の有無は永遠の話です。
だから、何か行動を起こすときは、発生可能性よりも、発生したときの危険度を考えるべきです。
例えば、以前にも書いたんですが、アメリカの観光地である大きな滝を見るために柵にまたがった人が柵から転落して命を落とすケースがあります。
柵に座る人はたくさんいるんでしょう。
みんながやっているから自分もやる。
実際、ほぼすべての人が、何の問題も無く終えるのでしょう。
でも、問題はその確率ではありません。
たったの1000人に1人であっても、柵から落ちてしまえば、その人の命は終わりです。
柵に座ると言う行為は生きるために必ずしも必要な行為ではありませんが、それによって、永遠に命を失ってしまうわけです。
確率がいくら低くても、もしそれが起こってしまったときに命を失うような行いは、ボクは避けるべきだと考えます。
これも以前に書きましたが、歩行者は交差点で目の前の信号が青になっても渡ってはいけません。
なぜなら、ごくわずかな確率で、信号無視したクルマが横から突っ込んで来る可能性があるからです。
確率は低くても、一度でもそれが起これば、歩行者は永遠に命を失います。
渡るのであれば、あくまでも、横からのクルマがいないコトを確認してからです。
今日、現金100万円が入ったバッグをコンビニのイートインスペースに置いたまま席を離れた人が、そのバッグを盗まれたと言うニュースを見ました。
これも同じですね。
バッグを盗まれるコトはめったに無くても、一度でも発生すれば、100万円を失います。
命と比べれば100万円は安いですが、バッグを置いたまま席を離れる必然性は無いはずです。
起こる確率よりも、起こったときのダメージの大きさを考える。
もし、それが取り返しの付かないようなコトなら、例え起こる確率が低いコトでも行わないようにする。
夏になれば、毎年、必ず水難事故で人命が失われます。
今年も何人もが亡くなりましたが、その人たちも、過去の水難事故をニュースで知っていたはずです。
そして、今度は自分たちに回ってきたわけです。
人間は誰もが特別ではありません。
リスクは平等に誰にでも降りかかります。
水辺に遊びに行けば、必ず危険があるのはわかりきっているのだから、それを承知で行かないようにする、もしくは、行くのなら、安全な遊び方をする、あるいは子供からは片時も目を離さない。
ボクは、どうせ命を失うのなら、誰かの役に立って人生を終わりたいと考えていますが、考え方や行動次第で生き延びられたはずの命が失われるのはホントに残念です。
みなさん。
あなたの行為はホントに必要ですか。
それが失敗したときに命に関わらない行為ですか。
もし、確率が低くても、失敗によって命を失うような行為なら、堂々とためらってください。
YouTubeのアクセス数に、命と引き換えにするような価値なんて無いんですよ。