事件
今日は信じられない事件が起こりました。
このままいけば、この容疑者は裁判で極刑に処されることは目に見えています。
極刑にならなければ、大変な論争を巻き起こすでしょうけど、おそらくその可能性は低いでしょう。
では、それで良いのか。
ボクは、正直言って、この手の犯行を行う者に対する極刑の無力さを感じます。
ほとんど意味が無いというか。
先にこれを読んでください。
船底に穴が開いて浸水している場合、バケツで水をくみ出すのはその場しのぎにはなりますが解決にはなりません。
浸水の原因である穴をふさぐことが根本的な解決法です。
この考え方は多くの事件にも当てはまるんです。
何か凶悪な犯罪が起こり、その犯人を極刑に処す。
はい、解決。
そしてまた凶悪な犯罪が起こり、その犯人を極刑に処す。
はい、解決。
いやいや、それだと永遠に事件は発生しますし、被害者も増え続けます。
そもそも、犯罪者を極刑にしても、社会的に何のメリットも無いんです。ちょっと語弊はあるのは承知で言ってるんですけど。
というのは、犯罪者を極刑にするってことは、その影響を受けるのはその犯罪者本人だけなんですよ。
犯罪で亡くなった人は生き返りませんし、その他の世の中の人たちの身には何も起こりません。
そりゃ、気分的には凶悪犯が極刑に処されることですっきりするかもしれませんが。
極刑に処されるのは当事者だけで、その後に起こる犯罪の犯人とは無関係です。
ましてや、今回のように、逮捕される前提で犯罪を起こす者に対してはまったくの無力です。
極刑を恐れて犯罪を起こさないのは刑罰を恐れる者だけですから。
つまり、何か凶悪な犯罪が起こり、誰かが命を奪われ、その犯人を極刑に処す。
はい、解決。
そしてまた凶悪な犯罪が起こり、誰かが命を奪われ、その犯人を極刑に処す。
はい、解決。
この繰り返しで、被害者が出続けます。
極刑というのは過去を取り戻す方法でも無いですし、この手の犯罪者への抑止力にもならない。
なぜなら、それが対症療法だからです。
必要なのは船底の穴をふさぐこと。根本治療です。
環境
では、こういう事件での根本治療とは何でしょう。
施設の警備を強化することでしょうか。違います。それも対症療法です。
答えは環境です。
今回の事件の容疑者も、生まれつき障害者への憎しみを持っていたはずはありません。
また、もし全く違う他の職業を選んでいたら、障害者に対する感情も生まれなかったでしょう。
遠回りな話ですが、この容疑者がこの施設で働いてトラブルになり退職した。
この事実が経緯としてある以上、直接的か間接的かはわかりませんが、事件の要因になっています。
実は、このタイプの事件は今まで何度も起こっています。
職場でトラブル
↓
退職
↓
恨みを持って職場に行って犯行
聞いたことあるでしょ?
悲しいことですが、このパターンで社員が辞めていった職場の人たちは、非常に強い警戒が必要です。
辞めたから自分たちには無関係、と安心できないのです。
無関係どころか、その時点ですでに危険にさらされている可能性があります。
だから、こういう事件を防ぐには、辞めさせ方にも慎重にならざるを得ません。
辞めること自体は避けられないにしても、本人にとって不本意な辞め方をさせるのか、それとも、円満に退職できる体制に持っていくのか。
事件が発生する要因を作らない、そういう環境にしない。
誤解しないでほしいのは、環境が悪いから事件が起こる、と思わないでほしいんです。
事件を起こす本人以外に何の罪もありません。
何の罪も無いですが、犠牲になるのも何の罪も無い人ばかりです。
だから防衛してほしいんですね。
交通事故だってそうです。
自動車が歩道に突っ込んで、何の罪も無い歩行者が犠牲になる。
悪いのは完全に自動車ですが、実際に数多く起こる以上、歩行者は自己防衛するしかないんです。
右側を歩くとか、できるだけ道路側から離れて歩くとか。
事件や事故が起こって、刑罰を与えるという対症療法の無力さ。
誰もが明日、事件や事故に巻き込まれる可能性がある以上、単に犯人に刑罰を与えるのではなく、自己防衛すること。
事件・事故が起こらない環境づくり。難しいですが、それ以上の防御策は無いと思いませんか?