死亡事故
高齢者による事故の無罪判決で怒号が起こっています。
運転中に意識障害が起こって事故になったのが理由ですね。
もちろん、遺族では無くても誰でも、怒りの感情が湧くのは当然でしょう。
でも、感情論では論破できません。
そこで、有罪にするための論破を考えてみましょう。
日本は運転禁止国家
多くの人が知らないと思うんですが、日本は自動車を運転するのを禁止している国家です。
運転する人は運転免許が必要ですよね。
資格と呼ばずに免許と呼ぶのはなぜでしょうか。
それは、禁止されている行為を特別に「免」じて「許」されているわけです。
日本は自動車の運転は禁止されている国。
これを頭に叩き込んでおいてください。
だから、よく、歩行者がジャマなんだよね、なんてコトを平気で言う運転者がいますが、そう言う人はクズなんです。
禁止されているコトを特別に免じて許されているクセに自己中心なんです。
あくまでも歩行者が優先。
歩行者がジャマなんて言う人には運転する権利なんて無いのです。
クズですから。
で、そんな禁止行為を特別に許される以上、その責任は全面的に負うべきです。
例えば、年齢に関わらず、どんな人でも、突然、頭痛が起こったり、めまいがしたり、操作ミスをしたり、何らかの障害が出るコトは予想できます。
人間である以上、絶対に何の不具合が出ないなんて誰も保証できないのです。
当たり前ですよね。
ボクだって、この10分後に倒れるかも知れませんし、あなただって明日、気を失うかも知れません。
それがたまたま自動車運転中なら、事故につながります。
つまり、すべての運転者は、運転中に何らかの障害が出る可能性があるコトは予想できるわけです。
それがわからない人はそもそもバカですから、運転免許なんて与えてはいけないわけですね。
以上の理由から、運転中の事故は、本人の意図とは無関係の意識障害であっても、あらかじめ予見できるので、それが原因の事故であっても、運転手は責任を負うべきであり、無罪なんてありえないのです。
それがイヤなら、運転しなければ済む話です。
運転しなければ生活できない地域に住んでいるんだよ!
と叫ぶ人がいますが、そんなコトよりも、難の罪も無い人が命を奪われる方がはるかに重大です。
100年前まで自動車なんて存在しなかったので、クルマが無いと困るハズは無いのです。
クルマが無いと不便ではありますが、生活が不可能ではありません。
と言うわけで、運転中はいかなる理由でも運転手に罪を負わせるコト。
イヤなら運転しないコト。
元々、運転は禁止なんですから。
それが、大切な人の命を守る重要な策だと思います。
なので、冒頭に貼った記事も無罪は異常なのです。
感情論では無く理論で書きました。
いかがでしょうか。