銃の存在が事件の原因ではない
アメリカでは度々、銃の乱射事件が起こります。
その度に、銃の規制論議になります。
日本では銃規制があるので、もちろん銃の乱射事件はまず起こりません、滅多に。銃を持っている人の数自体が少ないですからね。
アメリカでは一般国民が銃を所持できるので銃の乱射事件が起こる。
日本では起こらない。
そして銃の規制論議。
ボクはいつも、この話に疑問を持ってしまうんですよ。
というのは原因と手段のすり替えだと思うからです。
銃社会だから銃の乱射が起こると思いますか?
もしアメリカが銃社会じゃなかったら、犯人は他の手段を使って事件を起こしたんじゃないでしょうか?
日本では銃の乱射事件はありませんが、他の手段での事件はあります。
例えば、クルマで多くの人を轢いたり、刃物で多くの人に斬りつけたり。
要するに、銃を使うかクルマを使うか刃物を使うかは単に手段の話なんですよね。
銃の存在が事件の原因で考えるのはあまりにも不自然です。
もし銃が事件の原因なら、同じように事件を防ぐために、クルマや刃物も規制する議論になります。
もちろん実際にはクルマも刃物も規制されていますが、それは事件の原因になるからではなく、取り扱いそのものが危険だからです。
駅のホーム
鉄道の駅のホームドアについても、一部の議論に違和感があるんですよね。
ホームドアを付けることで自殺を減らせるというのです。
ん?
ホームドアを付けることで、落下事故を防げるのはよく理解できるんですよ。
だからホームドアは大切だと思います。
しかし、ホームドアが無いことが自殺の原因ではありません。
ホームドアが付けば、ホームでの自殺が無くなるだけで、他の手段にすり替わるだけです。
事件を防ぐために、その手段を封じることは、実は大した効果は無いです。別の手段に変えるだけですから。
大事なのは、
なぜ事件を起こすのか
という理由です。
その理由を解消すれば、事件も自殺も防ぐことができます。
例えば貧困が原因で刃物で強盗するなら、刃物を規制することよりも、貧困を解消する方がずっと大事です。
例えば貧困が原因でホームで自殺するなら、ホームドアを付けることよりも、貧困を解消する方がずっと大事です。
手段と原因のすり替え議論。
そんなことよりも、政治が果たすべき役割がずっと大きいことがわかると思います。