ハラスメント
体操選手のパワハラ被害会見が話題になっています。
んで、加害者とされている人物は否定しています、現時点では。
こう言うのって、もう見慣れましたよね。
パワハラした。
否定。
セクハラした。
否定。
強姦した。
合意の上だった。
いじめによる自殺。
いじめは無かったと言う学校。
何度も何度も見てきました。
日本は法治国家です。
誰かを有罪にするには証拠が必要です。
これ、ある意味では当然ですが、別の意味では非常に恐ろしいコトでもあるんですよ実は。
証拠が無ければ有罪にならないと言うことは、証拠を残さない完全犯罪の犯人は、例え人を殺しても無罪です。
それが法治国家の掟。
証拠
証拠って、要するに過去のできごとの記録ですよね。
時間は流れていくため、何もしなければ証拠は残りません。
現実に起こったことを証明することはできません。
記録の方法としては、いくつかありますが、現実的に証拠として法的に使えそうなのは、録画か録音です。
あるいはメールの送受信記録とか。
目の前で起こったことをメールに書いて誰かに送信しても、それが事実かどうかは確実ではありません。
嘘メールも書けますからね。
なので、証拠としては録画か録音。
今の世の中って街の至る所に監視カメラがあるんですよ、知ってました?
プライバシーの問題とセキュリティの問題、どちらを優先するか。
国家権力がプライバシーを覗き込めば、そりゃ怖いですよ。
逮捕権がありますからね。
でも、民間企業や民間人がプライバシーを覗くのは、誤解を恐れずに言えば、そんなにダメージ大きくは無い気がしませんか?
録画や録音でのプライベートのダメージよりも、犯罪を防止したり暴いたりするメリットの方がずっと大きい気がしています。
現在の技術だと、映像はまだまだ解像度が低いんですよね。鮮明な画像にするとデータが巨大化するので、コストがかかるんです。
しかし、音声データなら、かなりの高音質でもデータは映像よりもずっと小さくできます。
対象者としても、映像に撮られるより、音声を録られる方が、ずっと精神的にはラクじゃないですか?
パワハラにしても、セクハラにしても、いじめにしても、強姦にしても、言った言わないの水掛け論。
ならば、もう、自宅以外のありとあらゆる場所に盗聴器を仕掛けても良いんじゃ無いかなあ。
それで失われるプライバシーよりも、それで救われる命の方がずっと大きいような。
最近、若いスポーツ選手や学生が勇気を持って会見する一方、それを否定しまくる権力者たちをよく見るにつけ、ふと、そんなことを考えてしまいましたよ。
悪いことをしていない者にとっては、公共の場の盗聴なんて何のダメージも無いですし。
少なくとも、ボクは、企業の就職面接にはボイスレコーダーを持って行くべきだといつも言っています。
パワハラ、セクハラ面接官を懲らしめるために。
あるいは社内でも、パワハラやセクハラが横行しているなら、ボイスレコーダーで録音すればいい。
スマホにも録音機能ありますから、カンタンですよ。
ポケットに忍ばせればOK。
そんなヤツは会社ごと実名報道してやりゃいいんですよ、証拠をもって。
以上、ふと、そんな暴論を思ってしまう今日この頃の世の中からお送りしました。