ブログで生きる
ブログで生きていくので就職活動をしないと宣言する人。
そんな記事はよくバズります。
これもそう。
で、面白いことに、その2日後の記事で180度方向転換が。
この急展開には思わず笑ってしまったんですが、ここはひとつ、笑いを抜きでマジメに語ってみましょう。
右肩上がりの落とし穴
まずはロジカルな話。
1本目の記事ではブログの収益が右肩上がりだと書かれています。
だから、ブログで生きていく、と。
この、右肩上がりと言う言葉、これ、相対的な話であって絶対的なモノではありません。
はい、出ました、ボクが今まで何度も語ってきた、相対論と絶対論の違い。
ものすごくわかりやすい例を出しましょう。
100点満点のテストが行われます。
ある生徒は、最初に受けたときは、1点しか獲れませんでした。
しかし、2回目には2点獲れました。
3回目には3点。10回目には10点。
右肩上がりですねえ。
では、この生徒は、このテストを受ける生徒達の中で、優秀なんでしょうか。
周りを見渡すと、平均点は、60点。
つまり、この生徒は過去の自分との比較の中では確かに右肩上がりですが、世の中的には、かなり成績が悪いんです。
右肩上がりかどうかと優秀かどうかは無関係です。
ブログで生きるための収益
別に、ブログに限らず、生計を立てるためには、それなりの収入が必要です。
月収が5万円や10万円ではとても生活はできないでしょう。
15万円でギリギリ、できれば20万円、30万円と欲しくなるでしょう。
ブログの収入で月間20万円、30万円を稼ぐのは、数多くのブロガーのほんの一部です。
1000人に1人もいるんでしょうか。
つまり、就職せずに、ブログで生きていくってことは、ブログ界で1000人に1人以下の超絶希少な逸材になる必要があるってことです。
さっきの1本目の記事を見る限り、書いているブログ記事は月にせいぜい数本、しかも内容もほとんど専門性も無く、多くの人が書けそうな内容で、実際、月間のアクセス数(ページビュー)も2万の行っていないようです。
言い方はキツいですが、とても1000人に1人のすごいブログだとは思えません。
当然のように、アクセス数は頭打ちになります。
そして、2本目の記事のように、急遽、就職活動に転換、となるわけです。
そもそもですが、1本目の記事では自由を手に入れるのが目的だったはずが、2本目の記事では安定を求めています。
矛盾ですね。
ボクもサラリーマン生活と非サラリーマン生活の両方を経験していますが、自由と安定は確率的にはなかなか料率しません。
- 自由になる代わりに不安定のリスクをとる。
- 安定を得る代わりに不自由になる。
たいていはこのどちらかです。
例えば、大企業で年収1000万円クラスの仕事はたいてい自由時間は少ないですね。
それは単純に残業時間が多いと言う意味ではありません。
1000万円を稼ぐためのスキルを維持するための自己研鑽の時間が必要ってことです。
逆に、無職になれば、ホントに自由です。何時に起きるのも何時に寝るのも自由。
どこへ行くのも何を食べるのも自由。
しかし収入は入ってきません。
ブログで生きていくと言うのは厳密に言えば無職とは言えません。
ブログを書いて収入を得るわけですから。
しかし、給料と違って何の保証もありません。来月の収入すら、いくらになるかがわからないのがブログです。
それは誰にでも最初からわかっていることです。
自由を求めて就職活動しないってことは、すなわち不安定に生きる覚悟があると言うのと同義です。
世の中には、まだまだ、ブログで生きていく宣言する人がいますが、その人たちは、それを理解しているんでしょうか。
ボクは決して非難しているのではありません。
訊ねているのです。
自由を求めて就職活動しないってことは、つまり、収入が無い月があることも覚悟しているってことですよね?
それって逆の言い方もできるんです。
サラリーマンって、何て恵まれた人たちなんでしょう。
- 事業を始めるのに自分でおカネを出さず、
- 自分でビジネスモデルを考えず、
- 事業の責任を自分で負わず、
- 事業の負債を負わず、
- 毎月ちゃんと給料を得られ、
- 労働基準法で保護され、
- 社会保険も半分は会社が負担してくれ、
- 失業保険もある。
就職せずに生きるってことは、これらの特権を捨てるってことです。
ブログで生きていく宣言のみなさん、この甘い甘いサラリーマンの特権を捨てる覚悟がありますか?
サラリーマンはホントに恵まれているんですよ。
まあ、こう言う書き方をすると、サラリーマンの人たちから、
「サラリーマンも大変なんだぞ!」
とクレームが来るんですが、じゃあどうぞサラリーマンをやめて自分で事業をしてみてください。
サラリーマンがいかにラクか気付くことになりますよ。