ブログの欠陥
こんにちは!
今日もブログを書いているB-CHANです。
この記事で1064日連続執筆。2767本目の記事です。
あと1ヶ月ほど書き続ければ3年連続(365日×3年=1095日)執筆達成ですね。
その後もずっと書き続ければ今年中に3000本も達成ですね。去年、イチローがメジャーリーグで3000本安打を達成しましたが、ボクはブログ界で3000本記事を達成するためにがんばります。
で、今日も、他のブロガーさんの記事を拾ってみます。
こちら。
はろーぐっばい (id:jubenonz)さん、こんにちは。
ボクのこのブログの2016年1月1日から12月31日までの1年間のアクセス数(ページビュー)は382万ちょっと。
はろーぐっばいさんの約30倍ほどのアクセス数ですかね。記事の本数は10倍ほど。
それでこのブログの規模感がわかってもらえるでしょうか。
で、ブログの致命的な欠陥とは何だろうと思って読んでみました。
それは私がこのブログの致命的な欠陥に気づいたからです。
それはこのブログが「誰が、誰に、何のために書いている」ブログなのかが定まっていないことです。
もうこの点につきます。
誰が、誰に、何のために書いているか。
なるほど。
そう言う考え方もありますかね。
ボクは自分に問いかけてみました。
- 誰が書いているのだろう?
ボク(B-CHAN)が書いています。ボクは誰なんだろう?多趣味他仕事の好奇心旺盛人間です。
- 誰に書いているのだろう?
特に決めていません。誰にでも読んでもらいたいです。
- 何のために書いているのだろう?
稼ぐためです。ブログの目的はおカネ儲けです。強い信念を持っています。
カネ儲けを非難する人たちが勘違いしそうですが、ボクがブログを書く目的はおカネ儲けですが、おカネ儲けは最終目的ではありません。おカネ儲けは世の中を良くするための「手段」です。
つまり三段論法で言うなら、ブログの目的は世の中を良くすることになるわけです。
さて、こうやって見てみると、ボクのこのブログには致命的な欠陥はあるでしょうか。
その前にボクが思ったのは、致命的欠陥の定義がそもそも合っているかどうかってことです。
致命的欠陥って何でしょう?
息の根を止められるほどの欠陥ですよね。
ん?
月に1万のアクセス数がある個人のブログが息の根を止められる状態でしょうか?
世の中の大半のブログは月のアクセス数なんて1000以下ですよ。
てことは、はろーぐっばいさんのブログって致命的欠陥を抱えていないのでは?
その点で疑問。
あと、じゃあ仮に月に1万アクセスしかないと考えて、それが致命的だと考えた場合、その理由は果たして、誰が、誰に、何のために書いているかが定まっていないことが理由でしょうか。つまり欠陥の定義が合っているのでしょうか。
ボクのこのブログは、ボクと言うよくわからない一個人が、誰に対するとも無く、おカネ儲けのために書いています。
もし、誰が、誰に、何のために書いているかが定まっていないことが欠陥とするなら、ボクのこのブログも致命的な欠陥を抱えています。
なのにアクセス数は30倍。
とロジカルに考えれば、実は、誰が、誰に、何のために書いているかが定まっていないことは、実はブログの致命的な欠陥では無いと考えられるのでは無いでしょうか。
あんちゃさんのブログ「まじまじぱーてぃー」はボクもよく読みます。
で、 誰が、誰に、何のために書いているかと言う目線で見るとわかりますが、まじまじぱーてぃーもそれを満たしているとは言えません。はろーぐっばいさんのブログと大きく変わりません。
しかし、まじまじぱーてぃーの方が圧倒的に大きなアクセス数を稼いでいるため、どうしてもそう言う目線、つまり、きちんと誰が、誰に、何のために書いているかが定まっていると感じてしまうのです。後付けですね。
ボクもブログ歴は長いのでずいぶんたくさんの他のブログも読んできました。
アクセス数の多いブログ、少ないブログ、いろいろ読みました。
自分自身もアクセス数の少ない時代、多い時代の両方を経験しています。
その中で感じるのは、誰が、誰に、何のために書いているかなんてのは、ブログの欠陥とは無関係です。
はろーぐっばいさん、ご心配なく。
ブログの制限
大原則を言ってしまえば、ブログにそもそも制限なんて無いんです。
個人が自由に発信するのがブログと言うメディア。
何をどう書くのも自由。何の義務も制限も無いはずです。
ここが多くの人が勘違いしているところ。
だからブログ論が流行るんです。
ブログとはこうあるべき、みたいな。
そんなもん、無いんです。
自由です。
ただし。
何も考えずに会社を経営すれば倒産するように、何も考えずに自由にブログを書いていればアクセス数は稼げません。
ブログは自由ですが、アクセス数を稼ぐブログにするなら、それなりの制限や工夫は必要です。
大事なのはどちらを選ぶかです。
アクセス数なんていらない、とにかく自由に書きたい。
そう言う道を選ぶのも自由。
逆に、アクセス数をたくさん稼げるブログを作りたい。それも自由。
しかしそのためにはアクセス数を稼ぐための仕掛けが必要です。
アクセス数を稼ぐブログに定義はありません。
SEOを単なるウェブサイトの技術論だと思っている人は、アクセス数は稼げません。
マーケティングと言う経営戦略用語があります。
ビジネス上では非常に大事な言葉です。
しかし、世界の歴史上、大きなビジネスで考えれば、必ずしもマーケティングが活躍したとは限りません。
例えば、AppleのiPhone。
iPhoneが登場するまでは人々はiPhoneのような機械は知りませんでした。
人々の欲しがるモノを作ったのでは無く、人々の知らないモノを人々に見せて新たなマーケットを生み出しました。少なくともスティーブ・ジョブズの言い分によれば。
誰が、誰に、何のために書いているか、その制限をブログに課すと、ますますブログは書けなくなります。
ボクのこのブログで今でも毎日、多くのアクセス数を稼いでいる記事をいくつか載せます。
どれもこれも数年前の記事ばかり。息の長い記事です。
これらの記事がなぜ多くのアクセス数を稼げるか。
それは、多くの人が関心を持っているから。そう考えると落とし穴に落ちます。
確かに多くの人が関心を持っているんでしょう。しかしそれは結果論です。
その前に、何と言ってもボク自身が強い関心を持ったことなんです。
ブログの主催であるボク自身が強い関心を持ち、その強い気持ちで書いた記事が多くの人に共鳴したんです。
決してマーケティング調査をして、これらの記事のジャンルが人気が高いと知ってから書いたわけではありません。
ボクがどう思ったのか?
ボクがどう対処したのか?
ブログの最大のSEOはオリジナルコンテンツを作ることです。
オリジナルなコンテンツはどこにあるか。
それは各自の頭の中です。
自分自身の気持ちや言葉は、世界のどこにも無い唯一のオリジナルコンテンツです。
読者が何を求めているか。何のために書いているか。
そう言うことを考え始めると、ブログがつまらなくなります。
つまらないブログに読者は付きません。
あんちゃさんのブログをもう一度読んでみましょう。
彼女のブログが多くのアクセスを集める理由。
それは、誰が、誰に、何のために書いているかがしっかりしているからではありません。
彼女のブログが多くのアクセスを集める理由。
それは、彼女が自分の気持ちをありのままにはき出してオリジナルコンテンツを作っているからです。
そして、そのことは、世の他の、多くのアクセス数を集めるブログに共通しています。
ボクはいつも書いていますが、 新型iPhoneが発表された際に、そのニュースをブログに書く必要なんて無いわけです。
もちろん書くのは自由ですが、それでアクセス数なんて集まりません。なぜなら多くの人が書いているからです。レッドオーシャンに飛び込んでも、トップサイトだけが勝ちます。
iPhoneが発表されたのなら、それに対して自分がどう思うのか。
それがオリジナルコンテンツです。
そんな記事こそがアクセス数を集めます。
はろーぐっばいさんのブログは開始してまだ半年もたっていないと思います。
もし、アクセス数を稼ぎたいと思うのなら、自分の言葉で書くことが大切です。
マーケティングに縛られてブログのオリジナリティが失われたり執筆が止まってしまうのが一番残念なことです。
ボクのこの記事だって単なる思いつきで書きました。
ほんの30分前まで、何の話を書こうかすら決まって無かったんですから。
それを繰り返して2700本以上の記事を積み重ねてきたんです。
それでもアクセス数は稼げています。
多くのブロガーさんはブログを始めても長続きしません。
ぜひ、はろーぐっばいさんのブログが長続きしますよーに。
唐突ですが、ラーメン大好き小泉さんの5巻が出ました。ラーメン好きのボクはもちろん全巻持っています。