ミスからの挽回
恐ろしくバカなニュースを見つけてしまいました。
これです。
人間はミスをする生き物。
しかしミスをしてもそれを挽回できる生き物でもあるんです。
例えば、新幹線を始め、多くの鉄道には非常ブレーキなどの安全システムが装備されていますよね。
もし人間がミスをしない完璧な生き物なら、そんな安全システムはいらないんですよ。
ミスをする生き物だからこそ、ミスをしても大事故にならないように、安全システムが用意されているわけです。
それが人間の知恵です。
人間がミスをして、その人を責めても、何の解決にもなりませんし、大した意味はありません。
なぜなら、責められた人は2度とミスをしないように気をつけるでしょうけど、まったく別の人がまた同じミスをする可能性があるからです。
つまり、人間が存在する以上、同じ事例での事故はいつまでも起こり続けることになります。
実際、交通事故なんて、毎年こんなにたくさん起こっているのに、それでもまだまだ起こり続けてますよね。
それは起こしている人間が異なるからです。
死亡事故の9割は無事故無違反の優良ドライバーなんて話もあるくらいです。
その事故自体を起こすのはその人が初めてなんです。
その人自身はもう事故を起こさないように気をつけるでしょう。
しかし別の人がまた初めての事故を起こします。
だからホントに事故を防ぐには、事故を起こした人を責めるのではなく、事故が起こらない仕組みづくりが大切なんです。
ルール
さっきのサッカーの事例も同じ。
ミスをしたのは顧問の先生であり、生徒ではありません。
しかし、
「ルールはルール」
と固執してしまったために、罪の無い生徒が試合に出られないという、何の意味も無いペナルティを受けることになりました。
世の中の厳しさを教える、なんて屁理屈もありますが、世の中の厳しさを教えるのなら、顧問の先生にペナルティを与えるべきであって、罪の無い生徒にペナルティを与えるのは世の中の厳しさでも何でもなく、単なる暴力的行為です。理不尽です。
そもそも、事の本質は、サッカーの試合ですよね。
サッカーで競うことですよね。
開会式に出られなかったことと、サッカーの本質と、何の関係があるんですか?
サッカー大会なのに、サッカーで競うこと以上に開会式の出席が大事なんですか?
開会式への出席 > サッカーの試合
となってしまってますよね。バカですか?
こんなの、サッカーの本質と何の関係も無いんだから、臨機応変にルール変更すればいいんですよ。
サッカーのルールを変更しろ、なんて言いません。それならボクも反対します。本質ですから。
でも、今回のことは実につまらないことにこだわって本質を捨ててますよね。
鉄道の安全システムを放棄して、ミスしてそのまま大事故を起こしてしまってるのと同じですよ。
人間はミスする生き物なんです。
しかしミスしても大きな事故に至らないようにできる知恵を持つのが人間なんですよ。
今回の対応の知恵の無さを見ると、人間とは思えません。
顧問はミスしたけれど、生徒は思う存分試合ができるようにするのが知恵であり、それが人間らしさでしょう。
あまりにも情けなくて、大会関係者全員はホントに人間なのか?と疑問を持ってしまった一件でした。
つまり、この大会は、
高校生全体のサッカーの技術を競う大会
ではなく、
開会式に出た高校生だけのサッカーの技術を競う大会
てことです。