野球へのモヤモヤ
野球と言うのは他のスポーツよりも、あいまいなことが多いですよね。
ボクも野球は好きなんですが、そのすべてに納得しているわけではありません。
例えば、球場の広さや形はまちまちです。
他のスポーツでフィールドの形は広さがフランチャイズごとに異なるなんて、ほとんど無いでしょう。
野球はバラバラ。
表と裏の攻撃があるから、どちらのチームにも同条件だと言う人がいますが、それは1試合だけの話。
プロ野球なら、年間の半分は本拠地で、残り半分はビジターとして各地の球場で試合をします。
例えば、東京ヤクルトスワローズなら神宮球場で72試合、他の球場で72試合です。
東北楽天ゴールデンイーグルスなら宮城球場で72試合、他の球場で72試合。
年間の半分を狭い神宮球場で試合するスワローズ、年間の半分を広い宮城球場で試合するイーグルス。
球場によって広さが異なり、土や芝生など、地面そのものも異なります。
つまり、複数のチームが異なる条件なのに同じルールで競っているわけです。
しかし、ボク個人の野球に対する最大のモヤモヤは、バッティングのこと。
バッティングって、よく考えたら、サイコロを振るのと大して変わらないんですよね。
つまり、確実性が限りなく低い。
例えば、ピッチャーなら、上手になれば、狙ってストライクを獲りに行けます。
守備も上達すれば、ほとんどエラーしなくなります。
でも、バッティングは、10回のうち2本のヒットならダメ打者なのに、10回のうち3本のヒットなら好打者なのです。
じゃあ仮に5年連続で3割打っているバッターが翌年も3割打てるかと言えば、それは無いんですよね。
つまり、10回のうち3回は確実にヒットにする技術を誰も持っていないわけです。
イチローですら。
10回のうちたまたま3回打てる打者が、10回のうちたまたま2回しか打てない打者に指導する。
面白いモノです。
実際、野球選手の本やインタビューなんかでも、なぜヒットになるときとならないときがあるのか、明確に技術論で語れない、なんて言っている大打者もいるわけです。
バッティングは水もの。野球解説者ですらそう言います。
そう考えると、ヒットを打つことで評価される記録と言うのは、野球の他の記録よりも、違う考え方で見る必要があるのかな、と考えます。
3割打てるバッターだから3割打ったのでは無く、たくさん出場した中で、たまたまその年は3割だった、たまたま別の年は2割だった、そう見ています。
ホームランなら間違いなく、スタンドまでボールを飛ばす技術が要求されるんですが。
まあ、それはボクの長年のファン歴の中での個人的な見方ってことで。
儀式
昔、あるタレントが、言っていました。
ホームランを打ったら、なぜわざわざ、おっさんが一周するのを見届けなければならないのか。
確かにそうです。ホームランを打った時点で得点が入ればいいのに。わざわざ一周するだけ時間のムダ。
そう考えると、野球とは、「儀式」のスポーツ。
ボールがインプレーなら、走り方によって結果が大きく変わるので重要ですが、ホームランなら、どうせ得点が入るんだから、走ると言う「儀式」は不要。
たまに、塁を踏み忘れたり前の走者を追い越したりしてアウトになる選手がいますが、それは別にホームランの醍醐味ではありませんし、本質でもありません。
では、なぜホームランでも走るのか。
ボクは勝手に理由を考えてみました。
それはランニングホームランに通じます。
ランニングホームランは、打ったボールがスタンドに届かなくても、ボールがホームに返ってくるまでに打者走者がホームインすれば成立します。
まさに守備と脚の勝負。
で、ボクの答えとしては、スタンドインしたホームランもそれの延長だと考えてみるのです。
つまり、スタンドインしたボールも野手がスタンドをよじ登ってボールを取りに行き、そのボールを打者走者よりも先にホームに返せばアウト、でどうでしょうか。
現実的には、それでアウトにできることはほとんど無いはずですが、それでも、打者走者が走らなければ、いつかはボールは返ってきてしまう。
だから、ホームランを打った選手も、きちんと一周しなければ成立しない。
これで何となく、解答になりませんかね。