脳
こんにちは。
わざと刺激的なタイトルを付けてみました。
ボクがいつも思っていることです。
脳をコントロールすることって、実は不可能なのでは無いか、と。
人間の身体は器官でできています。
心臓も器官。手も器官。
そして、器官を動かすのは意思のチカラと意思では無いチカラとがあります。
心臓を動かすのは自分の意思では無いですよね。
心臓を意図的に動かしたり止めたりはできません。
でも、手や足は、健常な場合は、意思で動かすことができます。
そんな手足も、例えば、神経が切れてしまえば、意思で動かすことができなくなります。
コントロール
そんなふうに、人間の器官は自分の意思ではどうにもならないことがあります。
手足が勝手に震えても、それがわざとでは無い以上、その人を責めることはできません。
コントロール下にあるかどうか。
それが大きな分岐です。
実は、脳も器官のひとつです。
さっきから、
意思
と言う言葉を使ってきましたが、意思を発するのは脳。
脳から発せられた意思によって神経を通って手足などの器官を動かします。
では、脳と言う器官はだれが動かすのでしょうか。
例えば、同じ現象を見ても、平気な人もいれば緊張する人もいます。
それは、本人の意思とは関係無く、性格と呼ばれるモノです。
性格は、教育によってコントロールできる範囲もありますが、逆に言えば、その教育を受ける機会が無ければ、生まれ持った性格によって人格が作られてしまうわけです。
つまり、
悪いことをしてしまう
と言う思考をしてしまう脳を持って生まれてきた人は、そうやって生まれてきたこと自体に罪はありません。
生まれによって偏見や罰を与えるのは差別そのものだからです。
どのように生まれてくるかを本人がコントロールできない以上、悪いことをしてしまう脳を持って生まれてきたこともまた、本人の責任では無い、と言う理論になってしまうわけです。
心臓を自分の意思で動作させられないのと同じで、脳がどのように動作するかをコントロールできないわけです。
てことは、犯罪を起こすと言うのは、犯罪を起こす意思を発する脳を持っているわけで、そんな脳を持って生まれてきてしまったことは、本人の罪でも何でもないわけです。
ボクがよく例に出しますが、人間の肉体はみんな違っていて、ボクがウサイン・ボルトの10倍練習しても、ウサイン・ボルトより速く走ることはできません。
生まれ持った肉体が違うからです。
肉体、そう、器官が違うからです。
脳も同じ。
AさんができることをすべてBさんもできるわけでは無いんですよね。
本人の努力とは無関係で、生まれによって違ってしまっているわけです。
だからこそ、差別はしてはいけないわけです。
ただ単に、どこで生まれたと言うだけで差別してはいけないのは、それが本人の意思とは無関係だからです。
どこで生まれてくるかは、本人は選べないからです。
肌の色も性別も同じ。
そうやって考えていくと、犯罪を起こしたことに対して処罰することは、生まれつき持っている、そのような構造の脳の持ち主を処罰していることであり、実は理不尽なことなのでは無いか、と。
これはボクが犯罪を擁護するとか、被害者につらい思いをさせようとか、そんな気持ちとは全く無関係な、ロジカルな話です。
ロジックで言えば、矛盾が生じているのでは無いか、と問題提起しているわけです。
みなさんはどう思うでしょうか。
「お前は背が低いから有罪!」
と言われているような、そんなロジックに感じられるのはボクだけでしょうか。
犯罪や加害者を擁護する気持ちが無いことは、こちらの記事を見てもらえばわかると思います。