唯物論
唯物論なんて書くと共産主義者と思われるかも知れませんが、ボクはどちらかと言えば、正しい資本主義者です。
正しい資本主義と言うのは、公正な競争の元に格差が生じる社会を想定しています。
例えば、カネ持ちの家に生まれた子供は最初からカネ持ちなので、スタートから有利なんですが、そんなのはボクはダメだと思っています。
機会は平等であるべき。
でも結果は不平等であるべき。
そう思っています。
一方で、ボクは、宗教への信仰心はゼロです。
もちろん、霊の存在もまったく信じていません。
オカルト論者の人たちが、霊とUFOをごちゃまぜにして語っていますが、あれはそもそも間違いです。
霊は、人間が長い歴史の中で生み出したモノです。
子供のしつけのために、お化けが出るぞ、と言った説もありますし、見間違え説もあります。
過去にこのブログでも書きましたが、未科学に対しては人間は信仰を持ちがちです。
未科学と言うのは非科学とは違って、現時点では科学的に未解明な現象を指します。
例えば、雷。
現在は、雷は、単なる放電現象であるコトがわかっていますが、昔の人たちはそれを知りませんでした。
なので、雷を見て、神の怒りだと言う人が少なくなかったわけです。
ボクは唯物論者なので、宗教も霊も魔法も信じていません。
人間の創作物だと思っています。
飛行機に乗っていて、エンジントラブルで、放置すれば墜落すると言う状況にあるとき、次の2つのどちらを選びますか?
- 祈祷する
- 故障を修理する
ボクは迷わず後者です。飛行機は魔法で飛んでいるわけでも霊力で飛んでいるわけでも無く、物理学で飛んでいるからです。
物理学は自然界の法則を学ぶモノであり、人間が作ったモノもすべて、自然界の法則に従って作られています。
それに逆らうのは自然への冒涜だと考えます。
神様を信じる意味
当然、ボクにとっては、神様も人間が生み出した創作物です。
そう言う意味で、ユダヤ教ともイスラム教ともキリスト教とも相容れません。
それでも、ボクは神様を信じるコトにしています。
それは、神様の実在を信じていると言う意味ではありません。
神様が存在する前提で生きるコトにしている、と言う意味です。
理由は単純明快。
他人が見ていなくても、神様がずっと見ていると考えれば、それにふさわしい行動になるからです。
例えば、ゴミのポイ捨て。
正しい心の持ち主は、ゴミのポイ捨てはしません。
悪い心の持ち主は、ゴミのポイ捨てをします。
ズルい心の持ち主は、人が見ていない時だけゴミのポイ捨てをします。人前ではしません。
当然ながら、人が見ていなくても、ポイ捨てをすれば、街は汚れます。
なので、本質として、その人は善人とは言えません。
人間は弱い生き物なので、誰もがズルい心を持ってしまう可能性があります。
だからボクは神様に存在してもらうコトにしているのです。
人間が見ていなくても、神様が24時間ずっと監視している、と。
そうすれば、ゴミのポイ捨てもしませんし、落書きもしません。
人が見ている時にだけ善行をしても、本質的には善人では無いですし、それで他人から高い評価を得ても、それは偽物です。
そして、それを知っているのは自分だけ。
たった一度の人生。
あなたはどの生き方をしますか。
ホントは悪行をしているのに他人からは高い評価を受けようとする詐欺師のような生き方をするか。
それとも、本質として善人として生きるか。
人は自然界の中の生き物のひとつであり、自然法則、物理法則に従って存在し、決して霊や魔法で動くモノでは無い。
しかし、その生き方の指標として神様を自ら置く。
ボクにとっての神様は、人間を創った存在では無く、人間が創った存在なのです。