放火の悲劇
年末にビルが放火され25人が亡くなった事件は悲劇そのモノです。
放火なんてやれば死刑は間違いないハズですが、今回は被疑者までが火災で死亡し、遺族には厳しすぎる経過です。
ニュースを見ていると、ビル火災の避難について論じるモノが多く見られました。
でも、その意義は薄いと言わざるを得ません。
建物の防火
一定規模以上の建物には二方向避難が義務付けられています。
建物の階段が一方向だけにしか無いと、そこが火元になった際に脱出できないため、もう一方向にも階段を設置する義務です。
これ、義務としては確かに正しいんですが、意義が薄いんです。
まず、二方向避難が一定規模以上の建物に義務付けられている点。
逆に言えば一定規模未満の建物には義務付けられていません。
だから、そんな建物で放火されれば、やはり脱出は困難です。
また、二方向避難でも、ガソリンでの放火には対応しきれない点。
ガソリンは灯油と違い、引火すれば爆発します。
燃え広がるのでは無く爆発。
瞬時に人間が吹き飛ばれ焼かれます。
建築基準法でも消防法でも、ガソリン放火までカバーできませんし、カバーしようと思えば、高コストかつ不便すぎる建物となります。
現実的には、ガソリン放火に対して、建物の構造や設備で対処するのは、ほぼ不可能でしょう。
ほぼ不可能なら、できる範囲でやるべきコトは何でしょうか。
それは火災に対する、構造や設備での対策以前の話です。
これですね。
犯罪発生時の世間の声について - 非天マザー by B-CHAN
事件そのモノを起こさせない環境、社会作り。
犯人が悪いと非難して処罰しても、次の犯人は現れます。
大切なのは悪い犯人を登場させないコト。
人を悪い行為に走らせないコト。
結果には必ず原因があります。
例えば万引きをするのは貧困層が多いので、貧困を無くす政策は効果的です。
放火の理由の多くは何らかの怨恨。
怨恨そのモノは誰でも持ち得るでしょう。
しかし、多くの人は、それを解決できる環境にあります。
だから、怨恨からの犯罪を起こさずに済みます。
ごく一部の人だけ、怨恨を解消できず、暴走します。
犯人となる人の環境が、その人に怨恨の感情を抱かせ、それを解決できない環境が、その人に暴走させます。
とても難しい問題ですが、深いコミュニケーションが少なくなった社会は、その原因のひとつかと思います。
火災への対処法や、犯罪者への処罰を議論の中心に置いても何も解決しません。
議論の中心に置くべきは、その前段階。
犯罪に走らせない環境作りだと思います。
世の中には次の犯罪予備軍がたくさんいるでしょう。
次に起こる犯罪をどうやって防御するかより、次に犯罪を起こさせないためにどう言う社会にするか。
この議論が少ない気がします。