好きだから平和になる
みなさん、こんにちは!
B-CHANです。
世の中には不思議なことが多いんですが、ボクが不思議に思うのは、あるモノを好きになると、同じカテゴリの他のモノをキライになるという傾向。
例えば、パソコン。
Macを好きな人はWindowsをキライになる傾向があります。
逆もあります。
スポーツ。
野球ファンはサッカーを嫌い、サッカーファンは野球を嫌う。
携帯電話。
iPhone好きな人はAndroidを嫌い、Android好きな人はiPhoneを嫌う。
自動車。
ホンダファンはトヨタ車を嫌い、トヨタファンはホンダ車を嫌う。
他にもいろいろありますねえ。
モーニング娘。ファンはAKB48を嫌い、AKB48ファンはモーニング娘。を嫌う。
そうやってお互いのファン同士が相手を罵って争ってたり……。
何かを好きになるのはとても良いことです。
所有して満足なら、それを好きになるでしょうし、見て楽しければ、そのスポーツを好きになるでしょう。
でも、キライになるってどういうことなんでしょう?
例えば、ある人によって、かなりひどい目に遭わされたのなら、その人をキライになる理由も理解できます。
でも、モノとかスポーツとかって、それらによって何かひどい目に遭わされるわけでもないですよね。
好みの問題があるので、好きにならないのは理解できるんですが、キライになるってのはなぜなんでしょう?
優秀な人のひとつの要件として、アンテナの広さや視野の広さがあると思うんですよ。
つまり、世の中のいろんなことに興味を持って目を向けるってことです。
何かをキライになってしまうと、そこには目が行かなくなりますよね。
ボクは、まったく逆で、世の中に好きなモノや好きでは無いモノはたくさんありますが、キライなモノってのは無いですねえ。
なるべく何にでも関心を持って、できるだけいろんなモノを好きになります。
野球もサッカーも大好きで、テニスもバレーもボウリングも好きです。
iPhoneを使っていますが、AndroidもWindowsPhoneも好きですし、ガラケーも好きです。
Macを使っていますが、WindowsもLinuxも好きですねえ。
クルマだってどの車種も好きですし、人間をキライになることも無いです。
せっかく一度きりの人生を送っているのに、わざわざキライになるより、好きなモノが多いほうが、楽しいし得ですよね。
キライになって得することは何も無いです。
もし、野球が好きでサッカーがキライになってしまうと、野球のある日は楽しいけどサッカーだけの日は楽しくないですよね。
両方が好きなら、どちらか片方だけの日も楽しめるし、両方ある日は2倍楽しめます。
キライになるより好きになる方が、それだけ世の中のたくさんのことを身に付けたり経験できたりします。
また、誰かをキライになるってのは、究極的には戦争なんですよね。
ボクのように地球上のすべての国のすべての国の人を好きになれば、戦争は絶対に起こらないんですが。
みんながそうなればいいのにな。
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