常識を疑え
みなさん、こんにちは!
B-CHANです。
人間って、現在あるものが、今までずっと存在していて、これからもずっと存在するかのような誤解をしがちなんですよね。
結婚
例えば、結婚。
20歳代から30歳代くらいに男女が結婚して子供を1人から3人くらい作るのが普通。今の日本人はそう思っている人が多いでしょう。
でもそういう価値観って、ここ数十年のモノ。
例えば江戸時代以前は10代で結婚するのも珍しくなかったですし、事実上の一夫多妻のような形式も多数ありました。
子どもや孫が何十人もいる人もいました。
現在でも海外ではそういうのが珍しくない国もあります。
また、今の日本では男が18歳、女が16歳から結婚可能ですが、これは単に法律の問題です。
法律が改正されれば、これも変わるわけです。
もちろん、時代や国によって、この年令も異なります。
つまり、現在の結婚の仕組みが当たり前なのではなく、その時代、その地域によって、ころころ変化するのです。あくまでもそのときの政治が決めるわけであって、人間にとって絶対的に正しいわけではないのです。
数十万年もの人間の歴史の中で、今の日本の結婚制度になったのは、ごくごく最近の狭いエリアの中の出来事であって、長い歴史の中で見れば、むしろ異常という言い方もできるわけです。
生き方
生き方もそう。
高校もしくは大学を出て企業に就職してサラリーマンとして生きるのは一般的ですが、もちろんこんな生き方が普及したのは、ここ数十年のこと。
100年前の人に、「サラリーマン」と言っても、そういう生き方もそういう言葉も知らないでしょう。
長い歴史で見れば、農業をやったり、どこかの家に奉公したり、自分でモノを売り歩いたり。
数十万年もの人間の歴史の中では、今の日本の一般的な生き方は、むしろ異常という言い方もできるわけです。
紅白歌合戦
こういうことを言う人がいます。
「日本人なら大晦日は家で紅白歌合戦を見て過ごすのが常識だよね。」
うーん、世間知らず、かつ、歴史知らず。
紅白歌合戦が始まったのは1951年。たかだか65年です。
日本人はそれまでの何千年、何万年もの間、紅白歌合戦を見ないで大晦日を過ごしてきました。
日本の皇室の歴史を仮に2600年だとしても、65年というのはたったの2.5%です。
つまり、今の天皇制においても、日本人97.5%の期間、紅白歌合戦を見ないで過ごしてきたんです。
なのに、わずか2.5%の行事をとって、「日本人の常識」と言うのは、まさに常識知らずの歴史知らずとしか言いようがありません。
ボクが今、
「毎年2月9日には靴を左右逆に履くことにしよう。」
という新しい文化を提唱しても、誰も耳を貸さないでしょう。
「赤の他人が勝手に決めたことになぜ従わなきゃならん!」
と言うと思います。
ところが紅白歌合戦やら年越しそばやらバレンタインチョコやらは、人類の歴史上、ごく最近になって赤の他人が決めただけなのに、多くの人が従ってるんですよね。
常識なんてどんどん変化する
人間は、目の前の現象が常識であると思い込みがちです。
今の日本のサラリーマン制度、結婚制度。
そういう生き方は実は人間の常識でも何でも無く、実はごく最近だけのどちらかと言えば異常な生き方とも言えるんです。
でも多くの人はそれしか見ていないので、それが当たり前だと思って、それに合わせた生き方をしようとする。
さきに世の中があって、自分の生き方はそれに合わせる。
世の中 > 自分の人生
なんですね。
Aという時代に生まれたらAに合わせ、Bという時代に生まれたらBに合わせる。そこには自分は存在しません。
もし、自分らしく生きる人なら、Aという時代に生まれてもBという時代に生まれても、それらに関係無く自分らしく生きるわけです。
自分の人生 > 世の中
繰り返しますが、いま世の中で常識となっていることは人間にとって正しいわけではなく、時代や地域によってコロコロ変わる、むしろ脆(もろ)いものです。
それなのに、そこに絶対的な価値観を置いてしまって、自分の人生であるにも関わらず、自分の意志よりも脆弱な価値観で生きてしまうのは、人生を存していると思いませんか?
読み違えないで欲しいんですが、ボクは別に世の中のルールを無視しろと言っているのではありません。
例えば、交通信号が赤になったら停止する必要があります。
これはルールだから守る必要があります。守らないと秩序が乱れます。
ボクが言っているのはルールではなく、生き方です。
ルールは世の中に従う必要がありますが、生き方は従う必要はなく、自分で決めればいいんです。
自分で決めようが他人に決められようが、どうせ人生は数十年で終わるんです。
たった1回しか無い限られた期間なのに、他人が決めるのってもったいなくないですか?
山姥ギャル
山姥(やまんば)ギャルって知ってますか?
知らない人がネットで検索してください。
女子高生たちがド派手なメイクをしてたんですよね。
大流行したのは数年前。
当時のギャルにインタビューすると、
「かわいいからやってる。」
という答えが返ってくるんですよ。
でも今では見かけることが無くなりました。
ホントにかわいいからやってるのなら、ずっとやればいいのに。
流行が終わったからやらなくなったんですよね。
つまり、かわいいからではなく、みんながやってるから自分もやってただけです。
周りがあって、それに合わせて自分がある。
まさに、
世の中 > 自分の人生
ですね。
でも、そんな中で、一人だけ、その後もずっと山姥メイクをしている人の存在を知りました。
もう誰もやっていないのに、彼女はたったひとりでやってるんです。
ボクはエラいなと思いました。
周りがやってるからやるのではなく、自分がやりたいからやる。
そういう人が一人でも多くなれば、日本はもっと強くなれると思いましたよ。
ヒットチャート、人気ランキング
大多数の人は世の中のやり方に自分を合わせる。
音楽ヒットチャートランキングの上位の曲を聞くのもそうですよね。
他人に人気がある曲を選んで聞いてるわけです。
音楽なんて「音」を「楽」しむんだから、ランキングなんてどうでもよくて、自分の好きな曲を聞けばいいのに。
食事でもそう。人気の飲食店ランキングを見て、そこに食べに行く。そんなの単なる他人の評価なのに。
人によって好みは異なるということを知らないんでしょうか。知らないのなら、まさに世間知らず。世間に合わせてる世間知らず。
勝ち組、負け組
大企業や公務員に就職して現在の「常識」の中で勝ち組だと思い込んでいる人。
逆に就職に失敗して負け組だと思い込んでいる人。
そんなのはただの経済的な価値です。おカネの問題です。
そんなつまらない価値観を持つ必要はありません。
じゃあ1000年前の人は誰も大企業や公務員に就職していなかったので、全員が負け組でしょうか?そもそも大企業も公務員も存在しなかったのに。
今の常識は今だけなんですよ。
なのに今の常識にとらわれて、そうやって自分の生き方よりも世の中の常識を優先して人生を決めてしまったことのほうが負け組であることにいつ気づくでしょうか。
繰り返しますが、今の常識が人間の常識ではありません。
あなたは生まれ変わっても今の仕事をしたいですか?
給料がゼロでも今の仕事がしたいですか?
その仕事に人生の大半の時間を費やしたいですか?
ホントに今の仕事をしていて楽しいですか?
それがすばらしい人生ですか?
これに力強く「はい」と答えられる、たった一人の山姥ギャルのような人が多く登場することをボクは願っています。
普遍、不変の大切さ
大切なのは、世の中の常識では無く、人類普遍かつ不変の常識です。
紅白歌合戦なんて1000年前には常識ではありませんでしたし大切でも何でもありませんでした。
今の日本の結婚制度も1000年前には常識ではありませんでした。
でも、思いやりや平和はどうでしょうか。
これは1000年前でも1000年後でも、世界中どこでも変わらず大切なことです。
つまりそれは人間にとってずっと大切だということです。
目先の現象ではなく、本質的に大切なことは何か。
それを見極められるようになってほしいものです。
これらの指摘にピンと来た人は、次の2冊を読むことをオススメします。
関連記事
価格が高い料理ほどおいしいという話は2つの意味で間違い - 非天マザー by B-CHAN
どこかの企業のファンになることは損という考え方 - 非天マザー by B-CHAN
択一式アンケートの恐ろしさと数字のからくりと世論 - 非天マザー by B-CHAN
本質で物事を考えよう、命を守るために(おかしな世の中をつぶやくシリーズ) - 非天マザー by B-CHAN
血液型占いは相対評価と絶対評価を混同しているからおかしい - 非天マザー by B-CHAN