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母親が子供を虐待しているシーンを撮影するヒマがあったら助けるべきという批判が間違っている理由

現象は個々に判断すべき

 

みなさん、こんにちは!

B-CHANです。

 

渋谷駅で母親が子供を虐待している動画が撮影されインターネットにアップロードされ物議を醸しました。

 

 

何らかの事件が撮影されると、

 

「撮影しているヒマがあれば助けろ!」

 

という批判が起こります。

ボクは、このブログでたびたび言ってきましたが、物事はひっくるめて考えてはダメですし、一律に考えてもダメです。

こういうケースも個々の事象ごとに頭を使って考える必要があります。

今回の虐待シーンに関しては、撮影してしないで助けるのは間違いです。

撮影するほうが正解です。

 

理由はとても簡単。

その場で助けても対症療法にしかならないからです。

その場で助けても、家に帰ってから、あるいはその後の生活で、さらにひどい虐待が行われる可能性があります。

公共のあの場で、あれほどの仕打ちを行う母親なので、自宅のようなプライベート空間ではさらにひどい虐待を行うと考えても違和感はありません。

そうなると、あの場だけ子供を助けても意味がありません。

それよりも虐待の現場を撮影したほうが証拠になります。

子供への虐待は犯罪なので、当然に警察による捜査の対象となり、そのためには証拠の存在が重要です。

大切なのは、あの場だけ虐待をやめさせるのではなく、今後の虐待の防止です。

だから、あの場面では、助けることよりも、撮影して警察に届けることが重要なわけです。

もちろん、子供の命に危険が迫ったなら救出するべきでしょう。

 

撮影よりも救出を優先すべき場面とは?

 

命の危機が迫っている場面では救出を優先するべきです。

例えば、洪水などで人が流されそうになっているなら、そのシーンでは撮影より救出です。

それは対症療法では無く本質的問題解決だからです。

 

こういう出来事が起こった時、常に撮影がダメと考えるのではなく、ケースごとに判断する頭が必要ということです。

 

虐待

 

 

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