一貫性
政治家が発言を変えると、
一貫性が無い!
と世論は叩きます。
そう言うのを見てると、世論の浅はかさを感じずにはいられません。
自分の意見なんて変化して良いのです。
その理由を書きます。
ボクは若い頃(今もまだ若いと思っていますが)、自分がクルマを運転する立場で、赤になっても横断歩道を渡りきれずにモタモタしている歩行者のことを、
「赤信号で渡っている方が悪いんだから、そう言う人はひいても良いように法律を変えるべき。」
と過激な思想を持っていました。
そんなボクに、ある日、とてもまともな人がいいました。
「足の不自由な人はどうするの?」
ボクはガツーンと殴られた気持ちになると同時に目覚めました。
ああ、ボクが間違っていたな。
単なる感情論では無く、こんな風にロジカルに説得力をもって批判されて、ボクは納得せざるを得ませんでした。
それ以降、ボクは、自動車優先の考えを改めました。
ボクは以前と意見が変わったのです。
考えが変わったのです。
一生、学び続ける
人間は無知な状態で生まれてきます。
そして、その瞬間から様々なことを学び、それは一生、続きます。
当然、最初は知らなかったことでも、知ることによって、考えが変わることもあるでしょう。
それが成長です。
一貫性が無いと言うことは成長していないと言うことです。
それが許されるのは、
最初の考え方が正しかった場合のみです。
最初の考え方が間違っていた場合、むしろ、変化した方が良いわけです。
それを学びの中から獲得していくのが人間です。
この世に完璧な人間はいません。
完璧に正しい人間。
完璧に間違っている人間。
そんなのはいないのです。
正しい部分と間違った部分の複合体。
長所と短所の複合体。
それが人間です。
誰かの意見に一貫性が無いと思った時、それを表面的に非難するのはやめましょう。
きちんとロジカルに考えましょうよ。
説得力を持って。
もし、その一貫性の無さが成長や学習によるモノであれば、そして、その変化が、正しい方向へ向かうモノであれば、それは歓迎すべきです。
TPP賛成派がTPP反対派に変わっても何らおかしくないのです。
原発賛成派が原発反対派に変わっても何らおかしくないのです。
そこに学びと説得力と論理性があるならば。
ただし勘違いしないでください。
変わることが正しいと言っているわけではありません。
昨日の自分を超える今日の自分があって初めて、その変化すなわち成長はステキなモノになるんです。
努力家であった人が、突然、怠け者になる。
その変化は本人も、そして、周りの人たちも、幸せにしません。
みなさん、たくさん学んで、昨日の自分を超えましょう。
昨日と考えが変わっても良いんです。
それを非難するような「底の浅い」世論なんて吹っ飛ばせ!