報道
京都アニメーション放火事件とか、芸能人の反社会勢力関連事件とか、参議院議員選挙とか、大きなニュースが立て続けに起こって、あらためてインターネットの不気味さを感じました。
報道機関はニュースを流すんですが、報道機関は裁判所ではありません。
起こった事件を情報として伝えるのが仕事であって、それを断罪するのは仕事では無いはず。
そして、一般大衆もまた、裁判所では無いはずなんですよね。
推測の断定化
ボクが恐ろしいと感じたのは、一般大衆が、推測に過ぎない情報をいつのまにか事実であるかのように変換して断罪しているコトです。
政治の話なんかはわかりやすいですね。
右派の人たちは左派の人たちを非難しますし、左派の人たちは右派の人たちを非難します。
考え方が異なるコトは社会の自然な姿なので、多様な人が存在するのは何ら違和感はありません。
問題は、敵対する相手に対して、ロジックでは無く単なる感情論で非難している人が事情に多いコトです。
つまり、正しい理由や間違っている理由を検証するコトも無く、
キライだから
と言う理由で断罪するんですよね。
今回の選挙でもたくさん見られましたよ。
具体的事例はあえてここには書きませんが、論調としては、
「あの候補者はこう言う戦略を採ったが、それにはこんな思惑があるに違いない。ヒドいヤツだ。」
と言う感じですね。
どうですか。
この文。これこそヒドいと思いませんか。
やってもいないコトに対して、そうに違いない、と勝手に決めつけて非難しています。
さすがにその主張には首をかしげざるを得ません。
実際に、後になって、そのことが確定したのなら、堂々と非難すれば良いんですよ。
でも、確定もしないうちに、想像だけで決めつけて非難する。
まともな神経の持ち主なら、とても納得できません。
それは敵とか味方とかは関係ありません。
ロジックが崩壊しているのです。
でも、SNSにはそう言う発信をする人が非常に多いのが見受けられました。
ちょっと考えればおかしさに気付くはずなんですが、ちょっとすら考えないから、そう言う発信をしてしまうのでしょうか。
それが不気味だと考えました。
裁判官が、
お前は、そう言うコトをやるに違いない。だから有罪。
なんて言ったら笑い者ですよ。
推測では無く確定事項に対して批判する。
そうありたいモノです。
感情的になりすぎるあまり、過ちに気付いていないんですね。