アウティングとは
三重県で、全国初のアウティングを禁止する条例が制定されるようです。
アウティングと言うのは、性的嗜好暴露です。
以前、同性愛であるコトを友達に暴露され、自殺してしまった学生さんがいます。
LGBTは性的少数者であり、そのコトが知られてしまったら、世間から偏見の目で見られる。
それを苦にした学生さんの自殺でした。
そう言う悲劇を防止するために、アウティングを禁止する。
すばらしい話ですね!
あなたはそう思いましたか?
ボクは、目的と手段の混同と言う話をするコトが多いです。
このブログでもSNSでも言っています。
もうひとつ。
物事の本質を考えようと言う話もします。
今回のアウティング禁止条例は、本質を突いているのでしょうか。
偏見が問題
たまにボクは、こんな例え話をするコトがあります。
船底に穴が空いて浸水しているボート。
このままでは沈みます。
どう対処すべきでしょうか。
ここで登場する有名な対処法は、バケツで水を汲み出し続けると言う方法です。
多くの人は、その方法に疑問を持つでしょう。
なぜなら、それは対症療法だからです。
この問題の根本治療は、バケツで水を汲み出し続けるコトではありません。
船底の穴をふさぐコトです。
大量療法であるバケツでの水の汲み出しでは問題は解決しません。
根本治療である穴ふさぎこそが問題を解決するのです。
このボートの事例は非常にわかりやすいんですが、わかりにくい事例になると、意外と根本治療を見失う人が多いんです。
今回の三重県のアウティング禁止条例。
これによって、性的嗜好が暴露されるコトが無くなる。
だから、偏見の目で見られるコトも防げる。
さあ、みなさん、よく考えてください。
わかりましたか?
ここまでヒントを出したら、わかりますよね。
そうです。
この条例は、対症療法なのです。バケツで水を汲み出す方法なのです。
LGBTに対して世間は偏見を持つ。
だから、LGBTであるコトをバラさないコトによって偏見を防ぐ。
ね、わかりやすいでしょ。
問題の本質は、そこでは無いんですよね。
本質は、
LGBTに対して世間が偏見を持つコト
なんですよ。
つまり、この偏見を無くさない限り、永遠に問題は解決しません。
偏見があるから隠すのでは無く、偏見を無くすのが本質的な問題解決です。
LGBTをアウティングするコトが悪いのでは無い。
そうでは無くて、LGBTをアウティングしても、
それがどうしたの?普通じゃん。
と言える世の中を目指すのが本来の姿なんです。
LGBTをあくまでも隠しましょうと言い続けている限り、いつまでも、LGBTの人は偏見の目で見られるでしょう。
例えば、ボクは生物機能上の男性であり、恋愛対象は女性です。
では、もしボクがそのコトを秘密にしていたのに、ボクの友人が、
「B-CHANはオトコであり、恋愛対象はオンナなんだよ。」
と誰かにバラしたとしたらどうでしょうか?
そしてそれを気にしてボクが自殺したら。
多くの人は、
男性が女性を恋愛対象としているコトをバラされて自殺するなんて変でしょ。
となっちゃうわけです。なぜなら、今の社会では、男性が女性を恋愛対象とするコトは普通であり、それをバラすコトに問題があるとは考えないからです。
本来、LGBTもそうあるべきなんですよ。
なんで普通のコトをバラされて自殺するの?
と。
先述の学生さんが自殺したのは、同性愛をバラされたからではありません。
もっと本質的なコトです。
同性愛をバラされたら偏見を持たれる社会だからです。
だから、同性愛に何の偏見も持たない社会なら、バレたところで、何の問題もありませんし、自殺する必要もありません。
男性であるボクが女性を恋愛対象としているコトがバレても問題が無いように。
目的は偏見を無くすコトです。
条例は手段に過ぎません。
そして、この条例が、偏見を無くすと言う目的に対して、根本治療であるかと言えば、そうでは無く、あくまでも対症療法だと言うコトです。
この条例は要するに、男性であるボクの恋愛対象が女性であるコトを、ボクの友達がバラすのを禁止する条例です。
本来は、そんな普通のコトをバラすのを禁止するのって変なんですよね。
LGBTも普通のコトなのでバラすのを禁止するなんて変だよ。
と言える社会になるべきなんです。
ボク自身はLGBTに何ら偏見も持ちませんし、偏見が無くなればいいな、と思っているので、そのためには根本治療が必要だと考えています。
この条例自体は悪ではありませんが、あくまでも対症療法に過ぎないコトを理解しておいてください。
偏見を解決するのに必要なのは、対症療法では無く根本治療です。
ボートの話と同じです。
バラすのを禁止する条例ができるコトを喜んでいる時点で、まだまだダメ社会だな、と感じました。