高額とは
ボクが普段から思っているコトのひとつに、高額への非難のあいまいさがあります。
例えば、iPhoneと言うスマートフォンは高額だと言われます。
Macと言うパソコンは高額だと言われます。
もっと安いAndroid機やWindows機があるからです。
世の中にはあらゆる製品やサービスが存在しますが、えてして高額なモノは非難されがちです。
本来、自由経済においては、価格は、需要と供給で決まります。
そして、購入するかどうかは消費者の自由な選択なのです。
だから、高額であるコトを非難される筋合いは無いんですよね。
だって、高ければ買わないと言う選択ができるんですから。
高ければ売れないので、高いからボロ儲けとはならないのです。
Appleが世界最大の企業になったのは、iPhoneが高額で売れているからです。
それは言い換えれば、iPhoneをその価格で買っても良いと言う選択をした消費者がたくさんいるコトに他なりません。
強制では無く、個人の自由意志で選択したのです。
宝石
iPhoneに限らず、世の中の高額なモノやサービスは非難されがちです。
なのに、なぜか、宝石はあまり非難されないんですよねえ。
ダイヤモンドなんて、単なる小さな石ころであり、それ自体に大した機能はありません。
iPhoneには様々な機能があり便利ですが、それでも価格が10万円を超えると非難する人が少なからずいます。
ダイヤモンドは、ほとんど何もできません。
光を当てると輝くくらいです。
なのに、100万円とか1000万円とか1億円とか。
10万円を超える便利なiPhoneの価格は非難の的になるのに、単に輝くだけの1000万円のダイヤモンドに対して高すぎると非難する人はあまり見ません。
要は、価格への非難なんて、それくらいあいまいなんです。
ボクは、常々、そんなコトを考えています。
価格に対する非難って、大した基準も無いんだな、と。