薄っぺらいイベント
こんにちは。
いきなりですが、例えばボクが、
「毎年6月15日はハチマキの日!」
と言い出して、その日は街中でみんながハチマキをしようと主張しても、誰もそのイベントに重みを感じません。
赤の他人の言い出したことに何で従わなきゃならんのだ、となります。
実は世の中の行事なんて、元々、そんなモノです。
ボクがこのブログに何度も書いた紅白歌合戦の話。
「大晦日は家族で紅白歌合戦を見るのが日本の伝統だ!」
なんてことを言う人がいるんですよ。
おいおい、紅白歌合戦なんて、たかが67年前に始まったばかりですぜ。
日本の数百年数千年の歴史の中で、紅白歌合戦なんて何の伝統もありません。
NHKがごく最近、やり始めたことに過ぎないんですよ。
なのにNHKと言う赤の他人が始めたことに従っちゃう人が多いこと、多いこと。
紅白歌合戦に限らず、何でもそうです。
元々は無かったのに、誰かが歴史の途中で始めただけ。
それが数十年行われただけで、まるで伝統行事かのように語られてしまうんです。
冒頭にボクが書いたハチマキの日みたいなことを、実は多くの人が重視してしまっているわけです。
ホントは赤の他人が勝手に始めただけのことなのに。
成人式の着物も、たかだか数十年前に始まった行事。
年越蕎麦やら恵方巻きやら土用の丑の日やらバレンタインデーやら。
蕎麦業界、寿司業界、ウナギ業界、チョコ業界が国民をマインドコントロールして、まるで大事な行事であるかのように盛り上げているだけです。
そんな中で、成人式で着物を着ることも行われています。
まるで一生に一度の大切な日であるかのように。
そもそも、一生に一度の大切な日はすべてですよ。
今日だって一生に一度しか無い大切な日でしょうに。
ましてや、今回の事件で、着物が着られなくなったから成人式に参加しないって言う人がいるそうです。
何それ。
着物が目的であって、成人式は単なる手段ですか。
まあ、別にいいです。
マインドコントロールされるのは個人の自由ですから。
貧困
ボクが今回のニュースで真っ先に思ったことは、世の中の多くの評論家やコメンテーターが言っていることとは異なります。
ボクが思ったのは、
「貧困で最初から着物なんて着られない新成人がいるんだぜ。」
ってことです。
いつも書いていますが、親が努力して裕福になったのは親のおかげ。
子供はたまたまそこに生まれただけ。
なのに、裕福な家庭に生まれた子供は着物を着ることができ、たまたま貧困家庭に生まれた子は、着物を着られません。
つまり、何の罪も無い子供たちが、たまたまと言う理由だけで差別化されています。
バカみたいですよね。
ラッキーにも着物を着られる新成人は、本人の努力は無関係で、たまたまクジに当たったようなものですよ。
労せず手に入れたラッキーなんです。
道に落ちているおカネを拾ったようなものです。
そして、今回の事件で着物が着られなくなった人は、単にそのラッキーを失っただけです。
拾ったおカネを失っただけ。
つまり貧困家庭と同じ、ゼロに戻っただけ。
だから、ボクは、その被害者たちを特に気の毒だとは思えないんですよね。
むしろ、貧困でそもそも着物すら着られない新成人たちが、どんな思いで、このニュースを見ているかの方が気になりますよ。
もちろん、法的に被害が発生しているのなら、それはきちんと法的に処理する必要はありますし、着物会社の経営者が計画倒産したのなら、それは追求されるべきですよ。
問題を混同しないでくださいね。
ただし、親がおカネを出したのなら、それは親が取り返すべき。被害者はあくまでも親ですから。
繰り返し書きますが、子供は単に拾ったおカネを失っただけ。ゼロに戻っただけです。
まあ、何の伝統も重みも無い赤の他人が決めたイベントに参加できなくなったくらいで嘆き悲しむ必要なんて無いってコトです。
あ、個人の感想です。