インターネット
有名なブロガーであるHagexさんが殺害されたニュースは多くの人が知ったと思うので、違うことを書きます。
インターネットが普及し始めたのは、たぶん1995年頃。
ボクは、1990年代前半くらいから、パソコン通信をやっていました。
パソコン通信の時代は、匿名の意識があまり無くて、ボクも本名でやり取りしていました。
実際に、オフ会にも色々と参加して、仲良くなった人たちもたくさんいましたが、
仲良くなる = 本名を知っている
が基本だったんですよね。
もちろん、通信のときはハンドルネームを使っていても、それは通信上であって、実際には相手は人間なので、それぞれが本名を持っています。
やがてパソコン通信に代わってインターネットが主流になります。
ユーザー数が爆発的に増加しましたが、最大の特徴は、統括者が存在しない、と言うことです。
パソコン通信の場合は、業者毎に閉じた世界だったんです。
ボクが使っていたのはニフティサーブと言うパソコン通信でした。
後に@niftyと改名されますが、要は、ニフティ社が開催する通信会でした。
ライバルとしてNECが運営するPC-VANがありました。後のビッグローブですね。
全国各地には草の根ネットと言うべきパソコン通信があって、それぞれ互換性が無かったんですよ。
ニフティを使いたければ、ニフティの会員に、PC-VANを使いたければPC-VANの会員になる必要がありました。
ニフティとPC-VANのユーザーが通信をすることはできなかったんですよ。
そして、ニフティが用意したフォーラムが多数あって、その中で自分が好きなフォーラムに参加して交流していました。
現在で言えば、
パソコン通信 = Facebook
みたいな感じです。
Facebookの会員がGoogle+の会員とは交流できませんよね。
あくまでも会員同士の交流であって、他社の会員は他社の会員。
ただし、Facebookはユーザーが10億人単位なので、実質的には世界中のネットワーク。
一方でニフティは日本人の中のほんの一部の会員の交流会でした。
つまり、当時は、ネットは特殊な世界だったんです。
ボクが子供の頃なんて、学校のクラスでパソコンを使っているのはボク一人、なんてこともありました。
あくまでも大多数のリアルの中で、特殊なネット世界でした。
リアル = ネット
現在は、ほとんどの人が手にスマートフォンを持っている、つまり、ほとんどの人がインターネットを当たり前に使っています。
人数で言えば、むしろ、ネットを使っていない人がマイノリティ、そんな世の中です。
てことは、ネットとリアルの議論なんて意味が無いんですよ。
なぜなら、ネットの参加者は全員がリアルの人間だからです。
ネットは仮想、では無いのです。
昔、遠くの人に意思を伝えるのに紙の手紙を使いました。
伝書鳩を使いました。
飛脚を使いました。
電話を使いました。
近くの人と話す場合は、直接に話します。
直接に話すことがリアルで、電話で話すことは仮想でしょうか。
違います。
単に使う道具が違うだけです。
電話を使っても使わなくても、どちらも両端に現実の人間がいます。
いまも同じで、単に道具がインターネットになっただけで、使っているのは同じ人間なんですよね。
だから、ネットが原因で起こった犯罪の特殊性、と言っている時点でおかしいわけです。
ネットは単なる伝達手段です。
現に、ネットじゃなくても、実際に、人間同士のトラブルで殺人事件なんていくらでも起こっているじゃないですか。
今回の事件もそれと同じ。
たまたまトラブルが伝わる道具がネットだっただけ。
だから、ネットのリスクなんて議論は的外れ。
リスクの発生原因は、人間の意思そのものなんですから。
誰かと誰かが恨みを買う関係になれば、それは、ダイレクトであろうと電話であろうと手紙であろうとネットであろうと、まったく同じです。
今回のような犯罪を防ぐのにネット論を交わしても無意味。
今回のような犯罪、つまり普通の個人間のトラブルを防ぐのには、個人間の意思を変えるしかありません。
それができないなら、誰とも接点の無い人生を送るしか無いってコトです。
兄弟のいない人は兄弟げんかはできないんですから。
でも、それは不可能でしょう。
不可能なことに議論の時間を割くのはもったいないので、可能な未来に時間を割くようにしたいです。
先日の新幹線内での殺傷事件も同じですね。
新幹線の安全性の議論が見受けられましたが、そんなのにたいした意味はありません。
新幹線の各車両に警備員を立たせるような厳重なセキュリティが実現したなら、犯罪者は新幹線から別の場所へ実行現場を変えるだけですから。
新幹線の安全性の問題では無く、人間の安全性の問題なんです。
いずれにせよ、ネットにどんなにヒドいことを書いても、私的に命を奪われる必然性はありません。