人が争うと言うコト
ボクは永江さんのTwitterをフォローしているので、永江さんの発言をよく目にします。
人間なので,当然ですが、正しいと思う発言もあれば、おかしいなと思う発言もあります。
それはボクの個人的な感想であり、別の人が見れば、感想も変わるのでしょう。
人格攻撃と言うのは、その人の存在自体を攻撃するコトであり、あまりロジカルでは無いですし、説得力も低いです。
完璧な人間は存在しません。
それはボクがこのブログで何度も言ってきたコトです。
完璧に正しい人もいない。
完璧に間違っている人もいない。
正しいコトも言えば、間違ったコトも言えば、そしてそれは見る人の立場によって、正しいコトの基準も変化します。
これも以前、書いたコトがあるんですが、誰かのコトをキライになると、その人のすべてをキライになりがちなのが人間。
相手だって人間なのだから、正しいコトも間違ったコトも言うんですが、キライなので、とにかく聞く耳を持たない。
でもそれって、論理的に整合性がとれなくなったりするわけです。
例えば、タバコを嫌う人は喫煙者を攻撃するコトがありますが、それは喫煙と言う面だけで攻撃すべきであって、喫煙者の存在を攻撃するとおかしなコトになります。
喫煙者が、
「殺人はダメだ。」
と言えば、それは賛同すべきであって、タバコの好き嫌いとは関係無いはずです。
そんなコトを考えている最中に、こんな記事を見かけました。
双方の言い分
kyoumoeさんもブログ界では有名な人なので、ボクもよく記事を読みます。
当然ですが、賛同できる記事も賛同できない記事もたくさんあります。
今回は、永江さんとkyoumoeさんの争いの構図ですが、ボクはどちらの関係者でも無いので、生暖かく見守るだけです。
争いと言うのはえてして双方とも、自分が正しいと思っているわけで、そう言う意味では解決に裁判を使うのは、最も合理的かつ客観的なのかな、と。
幸い、インターネット時代になり、こうやって双方の言い分を見られるのは良いコトですね。
そう言う意味では、テレビとは実に原始的かつ欠陥の大きなメディアです。
テレビタレントがテレビの番組で、買い物に行ったときの店員の態度が気にくわないなどと激怒しているコトがありますが、あれって最悪ですよね。
タレントはテレビに出られる立場なので、公共の電波で自分の主張を自分に都合良く発信できるわけです。
しかし、もしかしたら店員には店員の説得力のある言い分があるかも知れないわけです。
でも、店員はそれを公共の電波で弁明する機会は無いわけです。
非常に不公平ですよね。
だから、ボクはテレビタレントがテレビで言い放つ文句を非常にうさんくさく見ていました。
ここ5年くらいはテレビ自体を所有していないので、そんな場面を目にするコトすらないのですが、それで正解だと思っています。
問題なのは、双方の弁明の機会も与えられないまま、人気テレビタレントの言い分だけを聞いて納得してしまっている視聴者。
ボクは、そんな視聴者と同じになりたく無いな、そう思いながら暮らしています。
片側の主張しか放送しない番組はうさんくさくて説得力はありませんし、その立場で発言するテレビタレントも同様です。
そんな目線でテレビを見るコトができる人が1人でも増えるコトを願って、今回は記事を書いてみました。
インターネットのリアルタイム性と双方向性は、テレビの欠点を補って余りある存在です。
テレビの人たちはネットのうさんくささを語りますが、ホントにうさんくさいのはテレビの方であり、それはその性質上、仕方がありません。
人間は賢くて進化する生き物なので、じわじわとその事実に気付くでしょう。
そして少しずつ、テレビの視聴機会は減り、ネットの視聴機会は増えていくでしょう。
それは健全な進化なのです。