故郷
ボクにとって故郷と言う概念は大した意味がありません。
ボク自身の生誕の地は大阪府八尾市ですが、小学生時代にすでに奈良県に引っ越しました。
その後、社会人になって、兵庫県、奈良県、兵庫県、奈良県、東京都、神奈川県、東京都など、10回くらい引っ越しています。
大阪府八尾市と言うのは単なる行政区画であって、昔の赤の他人が決めた境界線に過ぎないのです。
ボクが大阪府八尾市生まれだと言っても、将来は合併して柏原市になるかも知れません。
あるいは、八尾市だって、昔は八尾市では無かったわけです。
そして、ボク自身、自分の意思で八尾に生まれたいと思って生まれて来たわけでもありません。
たまたまそこに生まれただけです。
なので、故郷を愛する理由が何も無いのです。
いや、自分が生まれた場所くらい好きになれよ、と言う人がいるかも知れないので、ボクはこう応えます。
うん、地球を愛してる。
地球で生まれたから。
地球はまぎれもない故郷ですし、行政区画が人為的に変わるコトも無いですから。
ボクの故郷は地球です。
経験
人生は一度きり。
限られた長さしか無いのです。
なのに、何の理由も無く、ボクが大阪府八尾市に縛られる意味も無いのです。
大阪での暮らしも経験したい。
他の都道府県での暮らしも経験したい。
他の国での暮らしも経験したい。
そうやって生きています。
実際、そうして、あちこちに移り住んでいるおかげで、実に多様な人生経験を積むコトができています。
色んな土地の色んな人との出会い。
色んな文化との出会い。
誰かと話していても、ボクのコトを波乱の人生と呼ぶ人が多いのは、きっとそう言うコトなんでしょう。
狭い土地に縛られる必要はありません。
ひとつの仕事に縛られる必要はありません。
どんな方法で生きても、最後は死ぬのです。
ならば、色んな経験をしないと損だと思います。
同じ80年生きて、10の経験値を持つ人と500の経験値を持つ人。
その違いです。
職場に良い出会いが無くて結婚できない、と嘆く人の話をよく耳にします。
ボクはその意味がわかりませんでした。
ボクにとって、職場と職場以外の知人の数って1対99くらいの比率だからです。
人生の大半は職場以外でできています。
そう言う生き方をしています。
なぜ、土地に縛られ、職場に縛られるのでしょうか?
そんな殻は破ってしまえばいいのです。
破っても破らなくても、どうせ寿命で死ぬのです。
チャンスは無限に転がっているのに、なぜか留まって、そして嘆く。
もったいないですねえ。
環境を変えるコトは、人生における最大の転機です。
いまがツマラなければ、現状を捨てれば良いんですよ。
●●をしなければならない。
人生において、そんなコトは何も無いんですから。