批判は日常茶飯事
みなさん、こんにちは!
B-CHANです。
インターネットが一般化し、特にブログやSNSが普及して誰もがネット上で発信できるようになりました。
そして炎上(批判コメントが殺到する現象)もよく見かけるようになりました。
炎上すると、コメント欄を閉鎖したり、ブログを閉鎖したり、SNSのアカウントを閉鎖したりしますよね。
批判は成長の糧
ボクは正直、あまり批判を気にする必要は無いと思っています。
少なくとも、マイナスに捉える必要は無いです。
まず、いつも言っていることですが、完璧な人間はいません。
どんな人でも、正しいこともするし、間違ったこともします。
完璧に正しい人や、完璧に間違った人はいません。
だから、ブログにも当然、間違ったことを書くこともあります。
完璧な人がいない以上、それが当然です。
だから、間違ったことに関して批判を受けても、それでブログをやめる必要も無いです。
間違いを間違いと認めて訂正すればいいんですから。
それが成長です。
批判を自分の成長の糧にできる人とできない人 - 非天マザー by B-CHAN
批判してくれることに感謝するくらいの気概が必要ですね。
そして、批判を言ってくる人もまた、間違うこともあるのです。人間ですから。
アクセス数と批判期待値
こんな事例を考えてみてください。
Aさんのブログに100件の批判が殺到。
Bさんのブログには5件の批判のみ。
さて、これを見て、BさんよりAさんのブログに問題があると考えるのは妥当でしょうか。
違います。
ボクは何度も言ってきましたが、数値が出てきたら、統計的に考えないと間違えます。
批判の数に対しては、母数が必要です。
Aさんのブログのアクセス数は100万件。
Bさんのブログのアクセス数は100件。
これならどうですか?
批判の数をアクセス数で割った数値を批判率と呼ぶなら、
Aさんの批判率は0.01%。
Bさんの批判率は5%。
そうです。Bさんの批判率のほうが圧倒的に高いのです。
多くの人は目先の現象、つまり、批判の多さだけに着目して、Aさんに問題があると考えがちですが、重要なのは率です。
これは工業製品にも言えます。
例えば、製品レビューサイトで、A社の製品のレビューには、B社の製品よりも10倍も多い数のクレームが書き込まれているとします。
すると多くの人はA社製品はダメだと言ってしまいます。
でも実際にはA社製品はB社製品の100倍の台数売れていたらどうでしょうか。
そうですね。A社製品の方がはるかに優秀なのです。
目先のクレームの数で判断すると間違うのです。
批判は人気の裏返し
ボクが何を言いたいか。
ブログをやり始めてアクセス数が増え始めると、当然のように批判のコメントを書く人も出てきます。
でもそれは確率論です。
読者が増えてくるほど、批判も増えてきます。
世の中には必ず、ファンも入ればアンチもいます。
母数が増えればアンチの数も増えるんですから、批判も増えます。
単に批判の数だけを見て、イライラしたり落ち込む必要はありません。批判が増えてきたということは見てくれている人の数が増えているということなので、喜べばいいのです。
そして、さっき書いたように、批判は自分では気づかない自分の過ちに気づかせてくれることもあります。
そうなれば成長のチャンスです。
もちろん中には論理性の無い単なる感情的な批判もありますが、それこそ説得力が無いので気にする必要は無いわけです。
世論は間違い
先日、「多数決は間違っていることが多い」という趣旨の記事を書きました。
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専門的な勉強をして専門的な知識を持っているのは一部の専門家であり、大多数の一般人は専門家では無いんですから、みんなが言っていることに流される必要は無いんです。
むしろ世論に流されると、間違えている確率が高いわけです。
流されるのではなく、きちんと自分の頭で論理的に考えて結論を出すほうが正解の可能性が高いです。
もちろん自分で決めると言っても単なる感情論ではダメです。
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感情だけで決めてしまうと、その時の感情によって結論がコロコロ変わってしまいます。
これでは正しい道に進めません。
なぜその結論を出すのかという確固たる理由が無いと方向が定まりません。
方向転換しても構わない
ただし、一度決めたことをずっと変えてはいけないという意味ではありません。
さっきも書いたように、完璧な人間はいません。
間違いに気付いた時には、正しい方へ方向転換すればいいんです。
ブレてはダメだ、一貫性が大切だ、と言ってしまうと、ずっと間違った方向へ進み続ける危険がありますから。
一貫性というのは別に方向を変えないという意味ではありません。
常に論理的に物事を考えて説得力をもって進路を決めるという意味です。
ボクのこのブログでも正しいことも間違ったことも書いているでしょう。
それは指摘してくれればありがたいです。ボクが成長できます。
ボクが一貫しているのは、自分が絶対に正しいと思い続けることではありません。
人間も物事も外面では無く中身で判断することが大切だということです。
これは何度も何度も言ってきました。このブログの読者さんならご存知でしょう。
外面で判断してはいけない理由はこれです。
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論理的思考の大切さ
そして、単なる感情論ではなく、きちんと論理的に考えることです。
単なる感情論というのは自分が気に入るか気に食わないかで判断してしまうことです。
万引きは悪いことだけれど、自分がやりたいからやる。
それが感情論です。
もちろん、良い感情もありますが、悪い感情もあります。
論理的に考えることによって、悪い面を抑えられるのです。
万引きしたいけど、万引きをされた店は被害を受け、それによって経営に打撃を受け、罪の無い従業員が犠牲になるかもしれない。だからやめよう。
それが論理的思考です。
論理的思考は、人間を正しい方向へ進ませ、えん罪などの過ちを防ぐことができるのです。
引き続きブログを書こう
ブログは、旧来のメディア(マスコミ)に勤める人だけがオピニオンを公表できるというパラダイムを完全に崩しました。
日本は民主主義国家です。
主役はマスコミでも政治家でも無く国民です。
国民が自分の意見を自由に言えるのは本来、当たり前のことです。
多くの国が長い歴史の中で民主化を勝ち取るのは、民主化が正しいことだからです。
せっかくブログという、当たり前の権利を使うための便利なツールがあるんです。
批判や炎上などをマイナスに捉えているブロガーのみなさん、気にせず、国民として堂々と自分の意見を書きましょう。
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