トロッコ問題
最近、Twitterなどで、トロッコ問題が話題です。
ボクもちょうど、これを読んでいるところなので、ドンピシャの話題です。
この本の冒頭にトロッコ問題が出てきます。
本の中では社会的効用などの経済学的論理で語られています。
ボクもまだ読んでいる途中なので、どうなるのかはわかりません。
高齢者による交通事故
たまたま最近、とある人と話す機会があって、その人は貧困国の子供たちは教育を受けられないので大人になっても貧困のまま、と言う現状を見て、そんな世の中を変えたいと言う話をしていました。
実はボクも、このブログで何度も書いているように、外国の子供たちに寄付する活動をしています。
震災などが起こったときに単発で寄付するのでは無く、毎月継続的に寄付しています。
銀行口座から強制的に引き落とされていくようにしています。
ボクは、日本に生まれ日本で育ちました。
世界でも類を見ないほど平和な国です。
戦争や内戦にも遭わずに人生の半ばまで生きられました。
これはボクのおかげではありません。
たまたま平和な国に生まれたおかげです。
単なる運です。
逆に言えば、戦争のある国に生まれてしまった子は、それだけで短い命を失ったり飢餓に苦しんだりします。
何の罪も無いのにです。
だから、ボクは、自分がここまで生きられた幸運を、そう言った国の子供たちに少しでも分けられるように寄付活動をするわけです。
ボクの中に、もうひとつ、明確な考え方があります。
それは、年上の人間は年下の人間のために犠牲になれ、です。
悲しいコトに高齢者の運転によって子供が亡くなる交通事故が発生しています。
暴論かもしれませんが、目の前に2人いて、1人が子供、1人が高齢者で、どちらか1人しか生きられない状況にあるとすれば、ボクは迷わず高齢者を犠牲にします。
ボクが高齢者だとしてもそうです。
高齢者は高齢になるまで無事に生きてこられたわけです。
子供は無事に高齢者になるまで生きられるかどうかはわかりません。
だから、すでに高齢まで生きてきた人がこれ以上生きる価値よりも、子供がこれ以上生きる価値を優先します。
高齢者の運転によって子供が犠牲になる可能性があるのなら、ボクは、高齢者全員が運転免許を返納すべきだと思っています。
都会と違って田舎は交通機関が無いからクルマに乗らないと生活できない、と言う意見がありますが、それによって子供が犠牲になるくらいなら、高齢者が生活できない方がずっとマシです。
暴論とでも何とでも言ってください。
上記のトロッコ問題の答えはとても難しいですが、もし仮に、トロッコが向かう先に年上の人と年下の人がいるコトが明確にわかるのであれば、ボクは、年上が犠牲になる選択肢を選びます。
これがボクのトロッコ問題に対する解答です。