リスクの確率
作業員が、道路のマンホールから顔を出した際に走ってきたクルマと接触して命を落とす事故がありました。
マンホールには囲いが無かったそうです。
当たり前と言えば当たり前なんですが、危険ですよね。
道路上のマンホールに囲いも無く作業していたんですから、事故が起こるのは当たり前と言うコトです。
マンホールの上をクルマが通過する確率はゼロでは無いですから。
事故の確率は50%と考える
このブログの昔からの読者の人なら知っていると思いますが、ボクは心配性なので、その手の記事をよく書いています。
事故が起こったときに、事故の被害に遭った人たちは、
まさかこんなコトが起こるなんて
と言います。
ボクは全く違っていて、事故が起こる確率は50%だと思っています。
つまり、起こるか起こらないかは半々で、それは運次第です。
例えば、歩行者が歩道を歩いていて、そこにクルマが突っ込んで来るかどうかは、歩行者の気持ちはまったく関係ありません。
歩行者が、歩道が安全だと思っても関係ありませんし、歩道にクルマは突っ込まないだろうと思っても関係ありませんし、自分は事故には遭わないだろうと思っても関係ありません。
気持ちは全く関係無く、クルマは突っ込んで来るか来ないかのどちらかです。
つまり、50%です。
もちろん、統計で言えば、その場所で事故が発生した件数はわずかでしょう。
しかし、統計は過去の数値であり、未来の確率とは関係ありません。
この場所で過去に1万回連続で事故が無かったとしても、次の1回が事故かも知れないわけです。
どんな場所でもそうです。
ボクはよく、自転車に乗っている人が、スピードを落とさずに角を曲がるのを見るんですよね。
角を曲がったときにクルマが来ていれば事故です。
角を曲がったときにクルマが来ているかどうかなんて50%の確率ですよね。
つまり、事故が起こる確率は50%なわけです。
自転車の人が、まさかクルマは来ないだろうと考えたとしても、それはクルマの移動とは無関係です。
ボクから見れば、なぜ50%の確率で事故が起こるコトをわざわざするのだろうと言う疑問しか湧きません。
一旦停止するだけで安全は確保できるのに。
マンホールも同じ。
道路上のマンホールから顔を出せば、そこにクルマが来る確率は50%ですよね。
たぶん大丈夫だろうと言う作業員の気持ちは、クルマの移動とは何の関係もありません。
現象は気持ちとは無関係なのです。
起こるか起こらないかは50%です。
なので、50%の確率で起こるのであれば、それを回避する行動を採るしかないのです。
つまり、起こるコトが当然であると言う認識ですね。
まさか歩道にはクルマは乗り上げないだろう、では無く、50%の確率で歩道にクルマが乗り上げる、と考えるコトで、事故の被害を回避しやすくなります。
ボクはジョギングするときは、いつも右側通行。
左側を走っていると、背後から50%の確率でボクに突っ込んで来るクルマを避けられないからです。
右側通行をすれば、前方から来るクルマが見えるので、クルマが近づいて来ている時には、あらかじめ回避行動を採ります。
そんなボクなので、50%の確率で起こるコトに対して回避行動を採らずに命を落とす事故を見て、残念で仕方がありません。
責任はクルマの運転手にありますが、それは関係ありません。
責任が誰にあるかと、命を落とすのは誰かとは、別の話なのです。
何の罪も無い人が命を落とすのが交通事故なのです。
なので、責任論とは別に、歩行者が被害に遭わない自衛策を採るしか無いのです、残念ですが。